映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』が2月28日に日本公開となりました。
この映画は、ロックのレジェンドボブ・ディランの活躍を描いたノンフィクション映画です。
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私は昔から洋ロックが好きなので、ボブ・ディランも大好きですが、若い人の中にはあまり詳しく知らない人もおられるのではないでしょうか。
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ティモシーは知ってるけど…。ってパターンもあるかもしれないよね。
しかしながら、ボブ・ディランを知っておいた方が間違いなく楽しめます!
そこで、今回の記事では『名もなき者』を観る前の人に向けて、ボブ・ディランってこんな人だよという紹介をしていきます。
ボブ・ディランってこんな人
ボブ・ディランは1941年5月24日にアメリカのミネソタ州ダルースで生まれ、ヒビングで育ちました。彼は若い頃から音楽に強い興味を持ち、1959年から音楽キャリアをスタートさせました。彼の音楽はフォーク、ロック、ブルースなど多様なジャンルに及びます。
彼の音楽は社会や政治に対する強いメッセージを持ち、「風に吹かれて」や「時代は変る」、「ライク・ア・ローリング・ストーン」などの名曲があります。ディランは多くの賞を受賞しており、グラミー賞やアカデミー賞、ピューリッツァー賞特別賞、そして2016年にはノーベル文学賞を受賞しました。
ディランはユダヤ教徒として育ちましたが、1970年代末にキリスト教の福音派に改宗しました。その後、再びユダヤ教に回帰したと言われています。彼の人生と功績は、まさに伝説的なものであり、今も多くの人々に影響を与え続けています。
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偉大なアーティストとして扱われる葛藤については、間違いなく映画でも触れられると思うんですが、宗教的な描写もあるのかどうか、楽しみなところです。
フォークからエレキへ
ボブ・ディランは1960年代初頭にフォークミュージックのカリスマとして名を馳せました。しかし、1965年にはエレクトリックギターを使用するようになり、多くのフォークファンから反発を受けたんです。
特に有名なのは、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでの出来事です。このフェスティバルでディランはエレクトリックギターを使って演奏し、伝統的なフォークファンから「裏切り者」としてブーイングを浴びました。彼は「ライク・ア・ローリング・ストーン」などの曲をエレクトリックサウンドで演奏し、その後アコースティックギターに持ち替えて「イッツ・オールオーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」を演奏したのです。
この出来事はディランのキャリアにおいて重要な転機となり、フォークロックという新しいジャンルの誕生に寄与しました。彼はその後もエレクトリックサウンドを取り入れ続け、多くの名曲を生み出しました。
さらにこの後、ビートルズのような英ロックバンドもとも関わるようになり、彼の音楽の世界はさらに広がっていきます。
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映画ではちょうど、このフォーク1本からエレキを用いた時期を描いているんですね。その際ディランにどのようなドラマがあったのか。知りたくなりますよね。
象徴として扱われること
フォークのカリスマとして、祭り上げられた上、さらに彼はカウンター・カルチャーの象徴として扱われることもしばしばありました。
ベトナム戦争の反対を中心とした、愛と自由を求める若者たちの運動のことですね。
ボブ・ディランは1960年代のカウンターカルチャー運動の象徴的存在と見なされていましたが、彼自身はそのラベルに対して抵抗を感じていました。
ディランは自身の音楽やアイデンティティが特定の運動や思想に縛られることを嫌い、多くのインタビューや自伝でそのことを語っています。
彼は常に変化し続けるアーティストであり、特定のイメージや期待に縛られることを避け、自分の創造性を自由に表現することを重視してきました。
そのため、彼がカウンターカルチャーの象徴として見られることに対して反発を感じたのも理解できますね。
とにかく、彼自身はそこまで過大解釈されることは好ましく思っていないようなんですよね。本当のところは分かりませんが。
フォークに対する想いにしても、革命の象徴のように扱われることに対しても。
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ライク・ア・ローリング・ストーン、転がる石のように。
ブローウィン・イン・ザ・ウィンド、風に吹かれるまま。
そんな自由を唄っていただけ、と解釈することもできます。
ジョーン・バエズとの関係
映画では、ディランとジョーン・バエズとの関係も色濃く描かれていますので、彼女についても少し知っておいたほうがよいでしょう。
ボブ・ディランとジョーン・バエズの関係は、1960年代のフォークミュージックシーンにおいて非常に重要なものでした。
二人は1961年にニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジで出会い、すぐに親密な関係を築きました。ジョーン・バエズは「フォークの女王」として知られており、ディランの才能を見出し、彼を自身のコンサートに招待して共演することが多くなりました。
彼女はディランの音楽を広めるために大きな役割を果たし、彼のキャリアを後押ししました。
二人は恋愛関係にもありましたが、ディランの急速な成功とともに関係は複雑になり、最終的には別れることとなりました。
それでも、彼らの音楽的なコラボレーションは多くの名曲を生み出し、フォークミュージックの歴史に大きな影響を与えました。
ジョーン・バエズは後に「Diamonds and Rust」という曲でディランとの関係を振り返り、その思い出を歌詞に込めています。
ジョーン・バエズはディランの曲を多くカバーしており、その中でも特に有名なものとして
「Don’t Think Twice, It’s Alright」
「It Ain’t Me Babe」
「Blowin’ in the Wind」
「A Hard Rain’s A-Gonna Fall」
「Boots of Spanish Leather」があります。
彼女のカバーは、独特な声とディランの詩的な歌詞が見事に融合して多くのファンに愛されています。
生きるレジェンド
私がディランに関してすごいなと思うのは、これだけの社会的影響、もはや今となっては歴史の教科書に載っているような出来事の中で、人々の支えとなった彼が、未だに現存し、曲を歌っているということです。
実は私も、2018年のフジロックで、ボブ・ディランのライブを観てきたんです。
しゃがれ声はさらにアップデートされていて、めちゃくちゃ渋い。あんまり流行った曲やらなかったのも、それもまた渋い。
彼は現在83歳ですが、2024年もツアーをしたんですよ。
また、日本でもライブしてくれると嬉しいですね~。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます。
『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』を観る前の人に向けて、ボブ・ディランについて簡単に解説しました。
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スターになる、フォークのカリスマとして扱われる、そんな彼の想いはどんなものだったのか、気になるね。
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アメリカ、ひいては世界中の音楽はもちろん、歴史的にも大きな影響を与えた彼の自伝的な映画、『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』ぜひ劇場でお楽しみください。
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