「祖国のための死は名誉で甘美なり」
この古くから語り継がれる言葉は、時に若者たちを戦場へと駆り立てる甘美な誘惑となります。しかし、ダルトン・トランボ監督・脚本による映画『ジョニーは戦場へ行った』(1971年)は、その言葉の裏に潜む残酷な現実を、容赦なく観る者の心に突きつけます。赤狩りの嵐の中で不屈の精神を貫いた脚本家ダルトン・トランボの情熱が凝縮された本作は、一人の若者の悲劇を通して、戦争の愚かさ、人間の尊厳、そして生きる意味を深く問いかける、衝撃的な反戦映画です。

今回の記事では、『ジョニーは戦場へ行った』について詳しく解説していきます。

ダルトン・トランボが置かれた状況や、映画化への背景、ラストの解釈など、詳しく伝えていくよ!
作品概要
- 公開年: 1971年
- 監督・脚本: ダルトン・トランボ
- 原作: ダルトン・トランボ著『ジョニーは銃をとった』(1939年)
- キャスト:
- ティモシー・ボトムズ(ジョニー・ボンハム)
- キャシー・フィールズ(カリーン)
- ジェイソン・ロバーズ(ジョニーの父)
- マーシャ・ハント(ジョニーの母)
- ドナルド・サザーランド(キリスト)
- あらすじ: 第一次世界大戦末期、アメリカの青年ジョニー・ボンハムは、砲弾の直撃を受け、意識不明の重体に陥ります。病院のベッドで意識を取り戻した彼は、自分が両手両足、目、耳、口を失い、外界とのあらゆる繋がりを断たれた「肉の塊」と化していることに気づきます。残されたのは触覚と、鮮明な記憶、そして豊かな想像力だけ。過去の幸福な日々、愛する恋人カリーンとの思い出、家族との温かい情景が、孤独と絶望の中で繰り返される夢や妄想として押し寄せます。やがてジョニーは、頭を叩くことでモールス信号を送れることに気づき、看護師との意思疎通を試みます。当初、彼が伝えたのは「殺してくれ (KILL ME)」という切実な願いでした。しかし、極度の孤独から、たとえ見世物という形であっても、外界との繋がりを強く求めるようになります。
作品の背景――禁断の反戦文学
原作『ジョニーは銃をとった』は、1939年に発表されました。第二次世界大戦の勃発という不穏な時代に、一兵士の悲惨な運命を通して戦争の虚無を描いたその内容は、当然ながら大きな波紋を呼びました。アメリカ国内では「反政府文学」とみなされ、戦争が激化した1945年にはついに絶版(事実上の発禁処分)となります。しかし、戦後になってその文学的価値が見直され復刊。その後も、朝鮮戦争時には再び絶版、休戦後に復刊するなど、アメリカの戦争の歴史と深く結びつきながら、禁断の書として存在し続けました。この書籍が、時代を超えて読み継がれてきた事実こそが、トランボの描いた戦争の悲劇が普遍的なものであることの証左と言えるでしょう。
ダルトン・トランボについて――赤狩りに屈しなかった孤高の脚本家
ダルトン・トランボ(1905年 – 1976年)は、1930年代からハリウッドで活躍した才能豊かな脚本家です。『ローマの休日』(1953年)や『スパルタカス』(1960年)など、数々の名作を手がけたことで知られています。しかし、彼のキャリアは、1940年代後半から1950年代にかけて吹き荒れた「赤狩り」によって大きく翻弄されることになります。
第二次世界大戦後、アメリカ国内では共産主義への警戒感が高まり、映画業界もその例外ではありませんでした。「ハリウッド・テン」と呼ばれる10人の映画人が、下院非米活動委員会(HUAC)に共産党との関係を疑われ召喚されました。トランボもその一人であり、委員会での証言を拒否したため、議会侮辱罪で有罪となり、11ヶ月の禁固刑を受けました。
釈放後も、彼はハリウッドのブラックリストに載せられ、本名での仕事は一切許されませんでした。しかし、トランボは決して屈しませんでした。彼は偽名や友人の名前を借りて脚本を書き続け、『ローマの休日』ではイアン・マクレラン・ハンター名義でアカデミー脚本賞を受賞するという皮肉な結果も生みました。この事実は、彼の才能がいかに抜きん出ていたかを物語ると同時に、赤狩りの不当さを浮き彫りにする出来事となりました。
トランボが本名で再びクレジットされるようになったのは、1960年のオットー・プレミンジャー監督による『栄光への脱出』、そしてスタンリー・キューブリック監督による『スパルタカス』によってです。この二つの作品でのクレジットは、ハリウッドにおけるブラックリスト終焉の象徴的な出来事として語り継がれています。
そして、トランボが最後に手がけた脚本作品が、1973年の映画『パピヨン』であることもまた示唆深いものです。『パピヨン』は、無実の罪で投獄されながらも、自由を求めて不屈の精神で生き抜く男の物語であり、それはまさに赤狩りという不条理な弾圧に抵抗し続けたトランボ自身の姿と重なります。自身の原作を自ら監督し、脚本も手がけた『ジョニーは戦場へ行った』は、トランボの強いメッセージと、決して諦めない人間精神が色濃く反映された作品と言えるでしょう。
とてつもない恐怖――自由を奪われた魂の叫び
『ジョニーは戦場へ行った』を観る者の心に深く刻まれるのは、何よりもその「恐ろしさ」です。それは、幽霊や殺人鬼といった具体的な恐怖ではなく、もっと根源的で、逃れようのない絶望感に起因します。目も見えず、耳も聞こえず、口もきけず、手足もない。ジョニーに残されたのは、わずかな触覚と、内なる意識の世界だけです。

陽の光を感じるかすかな温もり、看護師が触れる肌の感触、ベッドの硬さ。それだけが、彼がまだ「生きている」ことを示す唯一の証となります。また、生殖器も無事に残っており、それがまた辛いんです。それらの認識は、同時に耐え難い孤独と無力感を彼に突きつけます。外界との繋がりを完全に断たれた彼は、自身の内側に閉じこもることを余儀なくされます。
そこで彼を襲うのは、過去の鮮明な記憶と、現実と区別のつかない夢や妄想の世界です。愛する恋人カリーンが他の男と結婚する夢、両親が彼を見世物小屋の見世物にする悪夢……それらは、彼の精神を容赦なく蝕んでいきます。戦後の負傷兵を見世物にすることが実際にあったという事実は、この映画の描く恐怖に、さらに重く冷たいリアリティを与えるものです。
はっきり言って、これほどまでに恐ろしい映画は他にないでしょう。死ぬことさえ許されない、何もできないという絶対的な恐怖。それは、観る者の想像力を遥かに超え、魂を深く揺さぶるものです。

この映画を観れば、それだけで戦争への抵抗はかなり強くなると思いますよ。
神に見捨てられた世界――反キリスト教的な展開
この映画の特筆すべき点の一つに、その反キリスト教的な側面が挙げられます。ジョニーは、自らの悲惨な状況を神に訴えかけますが、何の救いも与えられません。彼の絶望は深まるばかりであり、神の存在すら疑念の対象となります。
特に印象的なのは、夢の中にキリストが登場するシーンです。しかし、そこで語られる言葉は、慰めや希望を与えるものではなく、むしろジョニーの絶望をさらに強調するような内容となっています。何だったら、かなり的外れでその場をごまかすような説教なんですね。このような展開は、戦争という極限状態やジョニーのように絶望的なケガをおった場合における人間の無力さ、そして神の不在を感じさせるものであり、従来の宗教的な価値観を根底から揺さぶるものです。
「こうなっては神も救いようがない」――ジョニーの心の叫びは、戦争によって人間が陥る極限状態を象徴していると言えるでしょう。
究極の反戦映画――僅か20歳の青年の未来
『ジョニーは戦場へ行った』は、単なる戦争の悲劇を描いた映画ではありません。それは、一人の若者の未来、可能性、そして尊厳が、戦争によっていかに無残に奪われるのかを、観る者に突きつける究極の反戦映画です。
ラストシーンにおいて、ジョニーは極度の孤独から、たとえ見世物という形であっても外界との繋がりを強く求めますが、軍は倫理的な問題や戦争の現実を世間に示すことへの懸念から、それを拒否します。唯一の希望さえも断たれたジョニーは、「あなたがたの都合で繋がりを持つことが難しいのなら、このままの状況は耐えられない。いっそ殺してくれ。死んだ方がずっとましだ」 という思いを抱きながら、モールス信号で伝えます。看護師は彼の苦しみを理解し、解放しようと試みますが、彼の存在は「生きた教材」としての価値を持つと考える軍によって阻止されます。ジョニーの願いは最後まで叶えられることなく、彼は生きたまま、永遠に続くかのような孤独と絶望の中に閉じ込められ続けるのです。この救いのないラストは、戦争の残酷さ、そしてその結果の永続性を、観る者の心に深く刻み込むものです。
そして、エンドロールで流れるのは、1914年から映画公開時までの戦争による死者数のリストです。これは、特定の戦争やアメリカ兵の死者数に限定されたものではなく、第一次世界大戦以降の主要な戦争における、兵士と一般市民を含む膨大な数の犠牲者の数を提示します。トランボは、一人の兵士の悲劇を通して、戦争全体がもたらす巨大な犠牲を観る者に理解させようとしたのです。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます。
『ジョニーは戦場へ行った』は、観る者にとって心地よい映画ではありません。
その重いテーマと容赦のない描写は、観る者に深い感情的な負荷を与えるものです。

しかし、それこそがこの映画の持つ力であり、戦争の現実を直視し、平和の尊さを改めて考えるための、必要な痛みなのかもしれません。ダルトン・トランボの不屈の精神が注ぎ込まれた本作は、時代を超えて、私たちに重要な問いを投げかけます。

恐いけど辛いけど、やっぱり戦争映画って大事だよね。
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