I believe we did.
映画『オッペンハイマー』を再鑑賞して気づいた事をお伝えしていきます。
鑑賞されたことを踏まえた上の解説になりますので、ネタバレが気になる人は十分にご注意ください。
2回目でようやく気づけたことが、たくさんありました。
まだまだありそうだけどね…。
鑑賞のコツ
まず、『オッペンハイマー』という作品は超ザックリいうと5つのパートに分かれています。
これをおさえておくと、鑑賞中に迷子になりにくいでしょう!
①1920年代~1945年:オッペンハイマーが原爆を作り、その原爆が広島長崎に投下されるまで ②1954年:聴聞会にてオッペンハイマーが共産主義の疑いをかけられ(赤狩り)公職追放されるまで ③1959年:ストローズが公聴会で質疑応答を受け米国商務長官の任命審査で落ちるまで ④終戦後、原爆投下後のオッペンハイマーの歩みと苦悩 ⑤どうしてストローズはオッペンハイマーを失墜させたかったのか
これらが入れ子構造で描かれるため、やや難解になっていますが、この5つのどこかに当てはまっていると考えながら振り返るとよいでしょう。
もっというと、
「原爆を作り、日本に落とすことになった経緯」 「どうしてオッペンハイマーとストローズは対立したか」
の2つに絞って観るだけでも充分理解は深まると思います。
日本人としては、「オッペンハイマーの罪と罰」を感じながら観てしまうと思うんですが、後半では赤狩りの話がメインになってくるので、ずっと抱えて観る必要はありません。気持ちは分かりますが、ストーリー的にはその観念はノイジーになってしまいます。何とか割り切って観ていきましょう。
なぜストローズはオッペンハイマーを陥れたか
本作を観るにあたって、ストローズがオッペンハイマーの公職追放を手掛けた人物であることをおさえておかねばなりません。
そして、いかにして、オッペンハイマーを陥れたか。
どうしてオッペンハイマーにそこまで恨みがあったのか。
これを辿っていくミステリーのような味わいが本作にはあるんですね。
ストローズがオッペンハイマーを恨んだ理由としては、
①会うたびに自分を軽視する態度(なめられてムカついた) ②1948年にアイソトープ輸出を討論する際にオッペンハイマーに公の場で笑い物にされた ③オッペンハイマーが水爆開発に賛同しなかった(殉教者ぶってるのが気に食わない) ④オッペンハイマーが告げ口したせいでアインシュタインにも嫌われた(と思い込んでいる)
の4つが映画の中で描かれていた要因になります。
本当は①の機会が、現実で映画以上にもっと度々あったんじゃないかな~と思っています。詳しい人がいたら教えてください。
そして重要かつ映画の面白いところなのが④です。
次の項で解説します。
アインシュタインとオッペンハイマーの会話
アインシュタインが登場するシーンは4回あります。
重要なのは最初と最後とそしてちょうど真ん中あたりのセリフです。
最初はストローズの視点(白黒)
最後はオッペンハイマーの視点(カラー)
最初のストローズ視点では、会話の内容が分からず、恐い顔をしてストローズに見向きもしないアインシュタインでカット。
最後のオッペンハイマー視点では、会話の全容が明らかになります。
そして2つシーンの架け橋になるのが、ちょうど真ん中あたりのシーンなんです。核の連鎖反応に危機を感じたオッペンハイマーがアインシュタインに相談しにいくシーンですね。
この会話が、もろにラストのセリフと繋がってくるので、覚えておく必要があるんですよ。
その時のセリフが、
オ:「もし連鎖反応が起こり、壊滅的な答えが出てしまったら、どうすればいいでしょう?」 ア:「開発を中止して、ドイツとそれを共有しなさい。どちらも世界を破壊はしないだろう」
そして、最後の二人の会話は、
ア:「君はかつて私に賞をくれた。君は確信していたんだろう、私には理解する能力を失ってしまったと。だからあの賞は私のための物ではなかった。あれは君のためだったんだ」 ア:「今度は君が成し遂げたことの責任を取るんだ。いつの日か十分な罰を受けたら、供される。ポテトサラダとスピーチ、勲章を。君の肩を叩き、君はもう許されたと言うだろう。でも覚えておきなさい。それは君のためではなく、彼ら自身のためだ」
このセリフ、一見よく分かりませんよね。
まず、前提として、オッペンハイマーはバークレー校在籍時に、アインシュタインへ賞を贈っているんです。映画ではそのシーンがないので分かりにくいですが。
そのことを踏まえた上で簡単に解説すると、天才アインシュタインも歳をとって若き科学者たちにはついていけなっていったんです。
だからマンハッタン計画には、オッペンハイマーはアインシュタインをアサインしなかった。
しかし、ストローズのセリフからも分かるように、世間的にはまだ、アインシュタインこそが世界一の科学者として認知されていると。
だから、蔑ろにしていないことをアピールするため、自身への批判を避けるためにオッペンハイマーはアインシュタインに対してバークレー校で賞を贈ったのです。
量子力学を理解できない時代遅れのアインシュタインに邪魔させないために、自分のために賞を贈ったと。
そのことにアインシュタインは気づいていたし、腹も立てていた。次は君の番だ。称賛されてもそれは君の為じゃないんだぞ。
と伝えられるわけですね。
セリフはまだ続きます。
オ:「いつか、核の連鎖反応が広がり、世界が滅んでしまうかもしれないって話しましたよね」 ア:「覚えてるよ。それがどうかしたかね」 オ:「I believe we did. (私たちは、やったと思います)」
ここに中盤の会話シーンがフックしてくるんですね!
実際には広島と長崎でとどまった核爆発ですが、開発したことで、世界各国が核爆弾を保有することになってしまった。
それを越える原爆を作った結果、それを越える威力の水爆まで開発されてしまったわけです。
この会話は、ゾクッとしますし、やられましたね…。
ストローズのような凡庸な人間の理解を遥か超えたところで、天才たちは話していたのですから。
眼中にないどころの話ではなかったんですね…。
ストローズというか、凡庸な考え方そのものに対する愚かさを示唆しているんだと思いました。
聴聞会後に話しかけてくるシーンは、そこまでストーリーに関わるものではないので割愛します。(オッペンハイマーの愛国心がわかるシーンですね)
オッペンハイマーの罪と罰
さて、やはり日本人として気になるのは、オッペンハイマーの罪と罰の描かれ方なのではないかと思います。
キチンと罪人として描かれてはいるのですが、先述のラストシーンでは彼が精神が病んでいるようにも視えるし、反省していないようにも視えます。
私は戦争や核の使用について、反対派ではありますが、本作は一つの史実を基にした映画として寛容な気持ちで鑑賞できました。
広島や長崎をルーツに持つ方を中心に、批判的な意見があることは勿論分かります。
ですので、一つの判断材料として読んでいただければ幸いです。
オッペンハイマーの罪と罰の描き方についてですが、彼は映画の中で2度焼かれます。
1度目は広島・長崎への爆撃成功後、ロスアラモスの体育館にて。
2度目は聴聞会で水爆開発について詰問される際に。
この1度目のシーンは特に衝撃的です。
「ドイツにも使いたかった!」というオッペンハイマーのセリフの後に目の前が光ったようになり、聴いている人の顔がめくれていくんですね…。
この顔の皮膚がめくれる女性役を演じているのは、なんとクリストファー・ノーラン監督の娘さんなのだそうです。
ノーラン監督は、「究極の破壊力を作り出せば、それは自分の近くの人々、大切に思っている人々をも破壊してしまうということだ。これは、わたしにとって、それを可能な限り強いやり方で表現したものだと思う」とインタビューで語っています。
ノーラン監督なりに、この映画をテーマにすることの覚悟がこもっているようにも感じますね。
これに加えて、ラストのアインシュタインからのセリフが、直接落としたのではないにせよ、彼自身が許されることはないと、伝えているのではないでしょうか。
破壊者までの過程
『オッペンハイマー』は、オッペンハイマーの学生時代から始まります。
彼は、はじめ意地悪な教授への報復として、リンゴに青酸カリを注入するんです。
しかし、それも結局失敗するんですね。
1人の人間も殺すことができなかった青年が、
数十万人を殺す大量破壊兵器を作るまでに至るまでを描く様を、
同じ丸い形のリンゴと爆弾で表しているんですよ。
これまた痺れますね…。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます!
まだまだまとめたいことはあるのですが、かなりボリューミーになってしまったので、ここまでとします。
「アーネスト・ローレンス」や「ハーコン・シュヴァリエ」、「エドワード・テラー」についても言及したかったのですが、また、機会があればまとめます。
まだまだ分かってないことが多そうだもんね。
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