黒澤明監督の代表作『七人の侍』を改めて鑑賞しました。
あまりにも有名な作品で、海外での評価も高く、世界的に認知されている日本映画です。
映画にハマりだした頃に観て以来の、久々の鑑賞でした。10年くらい経っているかもしれません。
今回観て大変感動したので、改めて作品について解説をしようと思います。
時代設定を抑えてから観ると、ストーリーの入りがスムーズになって、より感動が大きくなると思います。
観た後に疑問が残った人もぜひ、この記事を読んでみてね。
作品概要・あらすじ
『七人の侍』は、黒澤明監督の代表作で、1954年に公開されました。
メインキャストには、三船敏郎、志村喬、津島恵子、木村功、加東大介、宮口精二、千秋実、土屋嘉男、藤原釜足が出演しています。
この映画は、当時の平均制作費の約7倍にあたる2億1千万円をかけて制作され、興行的にも大きな成功を収めました。
海外でも非常に高く評価されており、1954年の第15回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞し、1956年の第29回アカデミー賞では美術賞と衣装デザイン賞にノミネートされました。さらに、BBCが発表した「史上最高の外国語映画ベスト100」で1位に選ばれています。また、アメリカでは1960年に『荒野の七人』としてリメイクされました。
あらすじ:戦国時代の日本、ある小さな村が野武士に襲われる危機に瀕していた。村人たちは自分たちを守るため、七人の侍を雇うことを決意する。侍たちは村に到着し、村人たちと協力して防衛の準備を始める。彼らは村を守るための戦略を練り、村人たちを訓練し、士気を高めていく。やがて、野武士たちが村を襲撃する日がやってくる。侍と村人たちは力を合わせて戦い、激しい戦闘の末に村を守るために闘うのであった。
キャストについて
三船敏郎や志村喬、加東大介など、黒澤作品の常連が顔を揃えています。どのキャストも活躍の場がしっかりあるので、とっても豪華な感じがしますよね。
菊千代を演じた三船敏郎。乗馬のシーンは実際に演じています。また、黒澤映画の中で若い頃の三船の地の性格に一番近かったのは、この菊千代だったんだとか。実は、最初は剣の達人・久蔵役を三船敏郎が演じる予定だったんですが、シナリオが進むにつれて百姓と侍を繋ぐ役割の人物が必要であることに気付きました。複雑なキャラクター像に頭を悩ませる黒澤監督を含めた脚本組。そこに三船敏郎が現れ「これって俺そのものじゃん」と言ったとか。この言葉を機に菊千代という三船敏郎の性格を元にした役が作られていったそうです。
三船敏郎の殺陣の実力は、当時ナンバーワンと言えるほどだったので、もし、久蔵を彼が演じていたら作品はガラッと変わっていたでしょうね。菊千代を演じることになって本当に良かったです。
侍たちのリーダーである島田勘兵衛を演じたのは志村喬。それまでは『生きる』に代表するような、性格俳優的なイメージが強かったんですが、この勘兵衛役では豪快なヒーローを演じたことで注目を集めました。
勘兵衛は役として剃髪してお坊さんになりすまし、強盗を退治するストーリーがありますが、この役の為に、志村喬も剃髪して坊主頭しています。さらに、志村喬は撮影中に多くのアクションシーンをこなし、その中でのリアリズムを追求するために、実際に重い鎧を着て演技を行っていたそうです。これにより、彼の演技には一層の説得力が加わり、観客に強い印象を与えたんですね。
ちなみに、公開当時(1954年)の年齢一覧はこちらです。
黒澤明監督(44)
勘兵衛 志村喬(49)
七郎次 加東大介(43)
久蔵 宮口精二(41)
平八 千秋実(37)
五郎兵衛 稲葉義男(34)
菊千代 三船敏郎(34)
勝四郎 木村功(31)
三船敏郎、まだ若かったんだね!貫禄ありすぎ!
『七人の侍』の時代設定
『七人の侍』の時代設定は戦国時代末期の天正14年(1586年)です。この時代は、豊臣秀吉が天下統一を進めていた頃で、戦乱が続いていました。(このことは、菊千代が侍たちに自分の名前を偽るシーンから推測できます)
菊千代は百姓の出身でありながら、侍として生きようとするキャラクターです。彼は自分の出自を隠し、侍としての誇りを持ちながらも、百姓の苦しみや侍への憧れを抱いています。
彼の存在は戦国時代の社会の流動性を象徴しています。彼が侍たちに認められるために奮闘する姿は、当時の身分制度の厳しさと、それを乗り越えようとする個人の努力を描いています。
このことは、映画の感動を大きくする上でかなり重要なんですよ。
ですので、当時の身分制度について解説を加えようと思います。
戦国時代の侍の身分
あの時代、菊千代のように、百姓の生まれであることを隠しながら、侍として出世することは可能だったのか?そのあたりについて触れてみましょう。
世襲制
どうやって侍になるのが通常だったかというと、戦国時代では、基本的に侍の身分は世襲制であり、侍の子は侍として育てられました。
戦功による出世
戦乱の時代であったため、戦場での功績によっては下級武士や百姓出身の者が侍に取り立てられることもありました。豊臣秀吉のように、農民出身でありながら出世した例もあります。
社会の流動性
戦国時代は社会の流動性が高く、身分の移動が江戸時代よりも可能でありましたが、それでも侍になるのは容易ではありませんでした。
このように、戦国時代は江戸時代よりも身分の流動性が高かったものの、侍の身分は基本的に世襲制であり、百姓が侍になるのは依然として難しいことでした。
宮本武蔵なんかもこのあたりの時代の人物ですので、『バガボンド』とか読むと分かりやすいかもしれませんね。彼自身は父親が有名な武道家ではありますが。又八ってキャラクターが菊千代と似たようなことやってたり、他にも百姓出身で武士として成り上がろうとするキャラクターがたくさん出てきます。野武士も。
侍の思想・信念
序盤ではなかなか百姓の願いを聞き入れない侍たち。また、彼らは百姓を下に見ているような態度が強く伺えます。
今だったら想像しにくいですよね。農家の人をバカにするような人なんていないですもん。
それには侍たちが持つ思想や信念などに起因する理由があったのです。
エリート意識
侍は武士道を重んじ、名誉や忠義を大切にする価値観を持っていました。このため、他の身分の人々に対して優越感を持つこともありました。特に百姓や町人に対しては、身分の違いを強く意識していたことが多かったです。
侍たちの態度
他の侍たちは、菊千代や百姓に対して時折見下すような態度を取りますが、これは当時の社会的な価値観や身分制度を反映しています。しかし、物語が進むにつれて、彼らの間に理解と協力が生まれていく様子も描かれています。
勝四郎が子ども扱いされる理由
さらに、もう少しだけ詳しく、勝四郎について説明を加えておきます。どうして彼が子ども子どもと、侍の一員として認めてもらえないのか。
勝四郎は、七人の中で最も若く、元服前だと言われ、子ども扱いを受けています。
元服
元服は、戦国時代や江戸時代における男子の成人儀式です。この儀式を通じて、少年は正式に大人として認められ、社会的な責任を負うようになります。
元服の儀式では何をするのか
髪型の変更:少年の髪型が成人の髪型に変えられます。これは、髷(まげ)を結うことが一般的でした。
衣装の変更:少年は成人の衣装を着用します。これにより、見た目からも成人として認識されるようになります。
名前の変更:元服の際に、新しい名前が与えられることが多く、これにより新たな人生のスタートを象徴します。
勝四郎のキャラクターもまた、菊千代と同じくあの時代の流動性や、侍としての生き方、成長を反映するものなので、物語において重要なキーパーソンだと私は考えます。
ちなみに、元服の儀式は通常11~16歳で行われるものだったそうなので、勝四郎はまだ中学生くらいの設定なんでしょう。ちょっと無理ありますけど笑
前髪が無い髪型には、そういう意図があったんですね。
『七人の侍』名言集
最後に、『七人の侍』に登場した名言をいくつかご紹介します。
おいお侍これを見ろ
おい、お侍、これを見ろ!こいつはお前さんたちの食い分だ ところが、この抜け作どもは何食ってると思う 自分たちは稗食って おめえさんたちには白い飯食わしてんだ!百姓にしちゃこれが精一杯なんだ!
人足Aという人物名もないキャラクターのセリフ。それまでは百姓たちを馬鹿にしていた彼ですが、侍たちの態度に激怒。彼のこの一言で勘兵衛の心は動きます。
髭の心配してどうするだ!
野伏せり来るだぞ!首がとぶっつうのに、髭の心配してどうするだ!
村の長老のセリフです。野武士に抵抗するために、侍を雇う。すると侍たちが村娘たちに手を出すのではないかと心配する村人に対して一喝するシーンです。今だとコンプライアンス的に使いにくいかもしれませんが、まさに木を見て森を見ずというか、ワイドな視点でものを考えろというね。
びくびくするより能がねえ
百姓は雨が降っても日が照っても風が吹いても心配ばかりだで つまりびくびくするより能がねえ
こちらもまた、村の長老のセリフです。侍たちが村へやってきたというのに、何の歓待も受けないことを不思議に思って尋ねたものに対する返答。百姓がどれだけ肩身の狭い暮らしを強いられているか。侍たちはこれを聴いて、百姓の暮らしに対する哀れさ、情けなさを知り、言葉を失うのでした。
百姓ってのはななあ…!
よく聞け!百姓ってのはな、ケチンボで狡くて 泣き虫で意地悪で間抜けで人殺しだ! 悔しくて涙が出らぁ だがな、そんな獣を作りやがったのは一体誰だ おめえたちだよ 侍だってんだよ!
菊千代のセリフです。村人たちが落ち武者狩りをしていた事実を知り、怒りを露にした侍たちに向かって言い放ちました。彼が百姓としてどれだけ惨めな思いをしてきたか。そして、百姓が苦しい生活をしている上に自分たちはあるのではないかと、侍たちが再び言葉を失い、自分たちの無知を実感するシーンです。
人を守ってこそ
離れ家は三軒,集落は二十軒 離れ家のために二十軒を犠牲にすることはできん また,村を踏みにじられて離れ家の生きる道はない よいか 戦とはそういうものだ 人を守ってこそ自分を守れる 己のことばかり考えるやつは己をも滅ぼすやつだ
勘兵衛が村の離れに住む住民たちに対して言うセリフです。村を守るために、離れた場所にある家は諦めなければならない。しかし、そこに住む村人たちは納得せず、皆と闘うことを放棄しようとしだします。しかし、どうせこの村が負ければ、離れだって無事ではすまない。人のことを守ることが、自分を守ることにも繋がるのだということを理論的に伝えています。知恵者としての側面を見せつつ、リーダーとしてみなを支える心の強さと、決断力に長けた勘兵衛を表す言葉ですね。
勝ったのはわしたちではない
今度もまた負け戦だったな 勝ったのはわしたちではない あの百姓たちだ
最後も勘兵衛のセリフです。野武士たちとの闘いには勝ったわけですが、仲間も村人もたくさんの犠牲者を出してしまった。村人たちは平和を取り戻し、楽しそうにしているが、自分たちは果たしてどうだろうか。侍と百姓。強者と弱者。勝ち負けとは何だろうか。そして人生とは何なのか。考えさせられるセリフを残して、物語は幕を降ろすのでした。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます!
映画『七人の侍』の時代設定や、侍の地位や百姓が侍になることの難しさ、そして名言について解説しました。
菊千代や勝四郎の背景をよく知ると、さらに作品に深みが出ますよ!
演技や名言にもぜひ注目してみてね~!
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