映画『FEAST-狂宴-』をシネマートで鑑賞しました。
本作は『ローサは密告された』など、フィリピンの暗部をえぐり、社会問題や社会的リアリズムを通し、そこで強くたくましく生きる庶民の姿をリアルに描いてきた鬼才ブリランテ・メンドーサ監督の作品です。
裕福なパーティ会場屋さん家族と、貧困街で暮らす家族の間に起こった出来事を描いた作品です。
なかなか強烈な作品でした…。
あらすじはこちら!
息子が起こした交通事故の罪を被り、刑務所に収監されていた家族の長の帰還を祝う宴の準備が進められている。収監されている間、妻と息子は、協力しあって家族と家計を守り、亡くなってしまった男の妻と子供たちを引き取り使用人として面倒を見ていた。しかし、宴の日が近づくにつれて後ろめたさと悲しみが再びあらわれ、「失った者」と「失わせた者」との間の平穏はかき乱されていく…
https://www.m-pictures.net/feast/
フィリピンの田舎で起きた出来事を描いたドラマですが、日本人にとっても絶妙にありえそうな筋書きなのです。
しかしながら、キリスト教の教えを基にしたり、引用したりする部分がありますので、キリスト教でない人には若干なんのことを指しているかわからないかもしれません。私も無神論者なのでよくわかりませんでした。
そこで、今回の記事では、本作について、宗教的な視点を交えながら解説していきたいと思います。ネタバレを含みますのでご注意を。
フィリピンにおけるキリスト教
映画でも描かれているように、フィリピンはキリスト教カトリックの信者がかなり多いです。
ASEAN唯一のキリスト教国で、 国民の83%がカトリック、その他のキリスト教が10%となります。
350年にわたるスペインの植民地支配が影響です。
スペイン入植者たちが、支配を進めるためにフィリピン人への布教を積極的に行ったことに由来します。
タイトルになっている「狂宴」は、宴会,饗宴,ごちそう,喜ばせるもの,喜び,楽しみ,などを意味することばですが、宗教的な祝祭,祭日,祝日,祭礼などを含む意味もあるのです。
父親=イエスキリスト
本作の加害者の父親は、従業員や家族に好かれる人格者です。
そんな父が、息子の罪を背負って刑務所に入ります。
そして、刑務所の中でも、罪人たちに聖書を読み聞かせると。
模範囚となった父がいよいよ出所する。
そのようなストーリーになっています。
これは、父の出所=イエスキリストの復活を重ねているのだと思います。
イエスの復活は、復活祭、イースターなどと呼ばれる祝日となっていますね。
つまり、救いや布教などを行う加害者の父親=イエスキリストなのです。
だから許されてしまうと。(ひき逃げの共犯なんですがね…)
この点を頭にいれて観ると、映画が比較的分かりやすくなると思います。
不思議な力でもって人々を救うイエス、経済力と人徳でもって家族や貧しいものを救う父、そういった照合になっているのでしょう。
様々な引用
本作では、チャプターごとに様々な聖書の引用がされます。
冒頭は、「ローマ人への手紙」の引用。
このように、兄弟たちを受け入れるときに、さばいてはいけないことを知りました。それは、その兄弟をも主が受け入れてくださっていること、また私たちは人に対してではなく主に対してすべてのことを行なっていること、そして、主に対して申し開きをしなければいけないことが分かりました。そしてパウロは、次に、「つまずいてはいけません」という勧めをします。ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。
https://www.logos-ministries.org/new_b/rm14.html
映画ではもう少し短いんですが、だいたいこのあたりが引用されていたと思います。
これ、無神論者からすると恐いですね…。イエス=加害者父だとすると、あんなことがあっても、転ばせた方もお互い様ってことですもんね。
続いては「詩篇:第147篇」より
「食物を獣に与え、また鳴く小がらすに与えられる」という言葉の引用があります。これは比較的分かりやすいですね。
そして、「ルカによる福音書」の「14 13」、「12 23」も引用されます。
「宴会を催す場合には、貧しい人、体の不自由な人、足の悪い人、目の見えない人などを招くがよい」
「命は食物にまさり、からだは着物にまさっている」
といった感じ。
ちなみに、12 23の後は、こう続きます。
「からすのことを考えて見よ。まくことも、刈ることもせず、また、納屋もなく倉もない。それだのに、神は彼らを養っていて下さる。あなたがたは鳥よりも、はるかにすぐれているではないか」
カラス=被害者家族ってことですよね…。正直ゾッとしました。
感想
ここからは私の感想を。
上記のようにまとめてきました。
一見、よく分からない映画なんですが、キリスト教になぞって、あらゆることを許しましょうよと示唆しているんですね。
現代に置き換えて考えると、そりゃあ無茶だろっていう皮肉をこめた作品なのではないかと思いました。
宗教を守るか、法律を守るか。
『ネクスト・ゴール・ウィンズ』でもそのあたりのメッセージがあったことを考えると、意外と再考されているテーマなのかもしれませんね。
もう、無神論者である私からすると、被害者家族がどんな気持ちで加害者家族に養われてるんだろうと、とてもナーバスな思いで鑑賞してしまいました。
夫を轢いた車を運転したり、のろけを聞かされたり、耐えられないかもしれません…。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます!
映画『FEAST-狂宴-』について宗教的な視点で解説しました。
個人的にはぞっとする作品でした。
フィリピンの人や敬虔なクリスチャンはどうみるんだろ…。
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