2時間で、40年の旅に出る。
映画「離ればなれになっても」を鑑賞しました。
予告を観る分には、恋愛ものっぽい雰囲気。
2023年1月1日映画初めの作品が、イタリアの恋愛系映画になるとは思いませんでした。
監督は『幸せのちから』のガブリエレ・ムッチーノ。イタリアでもハリウッドでも活躍する人物です。
また、音楽は『ライフ・イズ・ビューティフル』でアカデミー賞🄬を受賞したニコラ・ピオヴァーニ。
恋愛映画は少し苦手なのですが、新年1作目として悪くないのではないかと思い、鑑賞した次第です。私、『ライフ・イズ・ビューティフル』めっちゃ好きなので。
イタリアで公開されるや大ヒットを記録し、SNSに「2度泣いた」「魅惑的な美しさに完全に夢中」「信じられないほど感動」など激賞コメントが駆け巡った話題の逸品。
公式サイトより引用
という、かなり感動できそうな予感。
今回の記事では、映画「離ればなれになっても」の見どころと、意外な内容についてしっかりとお伝えします!
果たして私は何回泣いたのでしょうか?!
STORY
主人公は、「宝石ジェンマ」という名前の通り美しく輝くジェンマと、彼女の初恋の相手であるパオロ。2人が16歳で出会った1982年から2022年まで、激動の時代に翻弄され出会いと別れを繰り返す日々が描かれる。見つめるだけで息が止まった幼い恋、大人の都合で離ればなれにされた切ない時間、まさかの親友の裏切り、身を引き裂く別れ、涙の再会の思いもしなかった行方──40年の歳月が教えてくれた愛の真実とは──?
公式サイトより引用
1982年ローマ、16歳のジェンマは同級生のパオロと恋におちる。彼の親友のジュリオとリッカルドと共に、弾けるような青春の時を過ごしていた。ところが突然、母親を亡くしたジェンマは、ナポリの伯母の家に引き取られる。1989年、教師、俳優、弁護士と、社会への一歩を踏み出した3人の男たちは、別人のように変わってしまったジェンマと再会する──。
意外と恋愛ものじゃない
今作、結論から申し上げると、恋愛ものではありませんでした。
どちらかというと、友情もの。
もちろん、恋愛要素もふんだんにあるのですが、それよりも、複数の男女の人生や、友情の歩みを描いています。
とても面白い作品でした。
年明けにうってつけ
また、年明けに観るのに非常に適した作品です。
なぜなら、はじめと終わりが、新年を迎える花火のシーンだからです。
ちなみに原題の”Gli anni piu belli”は”最高の年”という意味になります。
美しい花火と共に、心地よいラストが待っていますよ!
私は新年1本目をこの作品にできたことを非常に有難く感じました。
監督の想い
ムッチーニ監督は、今作で、自身の生きてきたイタリアの40年の歴史を表現したとコメントしています。
ムッチーノ監督は、過去の時代の価値観の多くが、現在にはそぐわないことに気づいた。政治的イデオロギー、悪しき富裕層と孤立した貧困層との対立は、もはや現在と過去では同じ意味を持たなくなった。ムッチーノ監督は、「私の世代は、戦後からの復興と好景気、そして1968年の改革を経験した、言わば主役の時代を生きてきた人たちに対して劣等感を抱いています。私たちは非政治的な世代であり、様々なイデオロギーと、現実には活用できなかった政治的知識によって混乱しています」と説明する。
公式サイトより引用
イタリア喜劇の傑作群に、映画的語り口としてのオマージュを捧げながらも、自分たちの世代の生きざまに向き合わなければならない。そう考えたムッチーノ監督は、“自分の生きてきたイタリアの40年の歴史を網羅した作品”を制作しようと決意する。そうして、「作るのが怖い映画だったので、取り組むのに時間がかかりました」と語るプロジェクトに、とうとう着手したのだ。
これまでのイタリアの名作『あんなに愛しあったのに』などの作品が自身の表現の根源にありつつ、戦中や戦後を描いた過去作は、時代にはマッチしづらい部分もある。
そのため、自分の生きてきた時代を映画にしようと試みたわけです。
最近、こういった、自身の経験を基にした映画、増えてきていますね。
「ベルファスト」や「リコリス・ピザ」もそんな感じでした。
まだ巨匠と言われるには若い監督たちの、こういった作品、大好きです。
戦中・戦後を知っているから偉い。経済成長期を支えたから偉い。大変な時期を生き抜いたから偉い。
そんな風潮はイタリアも日本も同じです。
そういったことへのコンプレックス、私にもありますし、映画監督なんて、もっと強く感じるでしょう。
でも、それに真っ向から向き合った。
自分が生きてきた時代だって、激動だった。
そう真っ直ぐに伝える強さ・カッコよさを感じる作品です。粋です。
4人の登場人物に投影した想い
ムッチーニ監督は、この映画に登場する4人の主要人物に、自身を投影したそうです。
ピエルフランチェスコ・ファヴィーノが演じる著名な弁護士ジュリオは、少年時代は貧困の中で育ち、社会的に排除されることを恐れていた。人間関係の必要性を必死に模索する姿に、多くの人が自分を重ね合わせるだろう。
公式サイトより引用
クラウディオ・サンタマリアが演じる、映画評論家を志しながら、無一文の夢想家の人生を送ることになった平凡な芸術家リッカルドのキャラクターについてムッチーノ監督は、「彼は政治的な動きを追いかけ、自分の信念を肯定するには正直であれば十分だと考える、私たちの“失われた世代”を象徴しています。抑圧された意見を表明しようと、デモに参加する世代のことでもあります」と解説する。
キム・ロッシ・スチュアートが演じるパオロのキャラクターは、もっと落ち着いていて平和主義者だ。いまだに母親と同居し、女性たちに主導権を握られている。彼は被害者意識から解放され、身近な人の承認に依存するのをやめ、自己主張の強い人生観を持つことで、充実感を得るようになる。
ミカエラ・ラマツォッティが演じるジェンマは、友人の笑顔や視線がほしくて、自分自身を抑えることで元気を取り戻そうとする女性だ。ムッチーノ監督は、「彼女はずっと好きだった男のもとに戻ります。彼が自分の帰るべき家を象徴しているからです。人間には欠点が多いので、人生の壁にぶつかっていくアンチヒーローを描く方が面白かったです」と説明する。
また、もう一人の“登場人物”として、クラウディオ・バリオーニの歌も重要な役目を果たしている。ムッチーノ監督が、こう説明する。「クラウディオ・バリオーニの歌は、過去50年間に恋に落ちた、すべてのイタリア人の象徴です。もし恋に落ちたら、バリオーニを歌おうという、大衆文化へのオマージュでもあります」
キャラクターの歩みや性格をとてもわかりやすく表しています。
だから、どのキャラクターにも共感してしまいます。
いくつになっても野望はあるし。
真面目で誠実でいたいし。
地位やプライドに惑わされるし。
でも帰る場所や心の拠り所となる友だちがいるっていいよなあ。
素敵だよなあ。
と思える作品でした。
この作品を観た後、プンプンしながら帰る人はいないでしょうね。
最も監督自身を投影しているのは?
物語の軸となっているのは、病気の母と暮らし、教師をする真面目な”パウロ”なのですが、冒頭は弁護士”ジュリオ”のシーンから始まります。
クレジットも、”ジュリオ”の方が上です。
何となく、真の主人公というか、監督自身が強く自分を投影しているのは弁護士”ジュリオ”なのではないかと感じます。
もしかすると、過去の家庭環境や、現在のポジションは彼に最も近いのかもしれません。
または、大成しつつも旧友を大切にするあたり、『ニュー・シネマ・パラダイス』をオマージュしているのかも。
音楽が美しい!
音楽は、やはり絶品でした。
エンニオ・モリコーネのような、美しいオーケストラが映画の美しさをより一層引き立てています。
また、クラウディオ・バリオーニの曲も味わい深い。
恋が芽生えるシーンでは、必ず彼の曲がかかるということをインプットして観ると、映画が立体的に味わえるはずです。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます!
「離ればなれになっても」の見どころをお伝えしました。
監督自身の思いをキャッチすれば、より味わいが深まる作品です!
ちなみに、泣きはしませんでした。
でも、今の時代を堂々と生きようと思える作品ですよ!
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