映画『蛇の道』は、黒沢清監督によるサスペンス作品であり、復讐をめぐる心理戦と欺瞞が巧みに描かれております。

本記事では、物語の核心に迫りながら、登場人物の行動とその意味を考察していきます。

まずは公式サイトのあらすじや作品概要から!
【Introduction】
時と国境を越えて辿り着く、完全版“リベンジ・サスペンス”
『岸辺の旅』(15)で第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門の監督賞に輝き、『スパイの妻 劇場版』(20)では第77回ヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞を受賞、『Chime』(24)のワールド・プレミアを第74回ベルリン国際映画祭ベルリナーレ・スペシャル部門で行うなど、世界三大映画祭を中心に国際的な評価を次々に獲得し、世界中の映画ファンから熱い視線を浴び続けてきた監督・黒沢清。
『蛇の道』は、そんな黒沢監督が、98年に劇場公開された同タイトルの自作をフランスを舞台にセルフリメイクし、自ら「最高傑作ができたかもしれない」と公言するほどのクオリティで放つリベンジ・サスペンスの完全版である。
【Story】
ジャーナリストのアルベール・バシュレ(ダミアン・ボナール)とパリのとある病院で心療内科医として働く新島小夜子(柴咲コウ)は、高級アパルトマンの1階で、エレベーターから出てきたミナール財団の元会計係ティボー・ラヴァル(マチュー・アマルリック)を襲撃。ガムテープで身体をぐるぐる巻きにし、寝袋に押し込むと、車で郊外の廃墟と化した隠れ家に連れ去り、監禁する。
壁の鎖に繋がれたラヴァルの前に、無言のまま液晶モニターを運んでくるアルベール。スイッチを入れ、そこに少女が微笑むホームビデオが映し出されると、彼はようやく「僕の娘だ。殺された」と重い口を開き、「娘のマリーは財団関係者に拉致された。あなたがやった。そうですね?」と詰め寄る。 だが、ラヴァルは「私はやってないし、何も知らない」と嘯くばかり。イライラを募らせたアルベールは拳銃を彼の頭に突きつけるが、小夜子に「焦らないで。時間はいくらでもあるんだから」と言われ、銃を取り上げられると、ようやく平静を取り戻し、その場を立ち去る。すると、背後から「後で後悔するぞ」という、脅すようなラヴァルの声が聞こえてきたから、小夜子も黙ってはいない。一瞬の迷いもなく、彼のぎりぎりのところを狙って銃弾を撃ち込むと、鋭い眼差しで「このあたりには誰も住んでいない。いくら叫んでも、助けは来ないわ」と吐き捨てた。
アルベールと小夜子が出会ったのは3ヶ月前。娘の死のショックで精神を病み、小夜子が勤める病院に通院していたアルベールに、「私は 心療内科の医師です。5分ほどよろしいですか」と小夜子が声をかけたのが最初だった。そのときのことを思い出しながら、「結局、君まで巻き込んでしまった。どんなに感謝すればいいか」とアルベール。「いよいよね。ふたりで最後までやり遂げましょう」という小夜子の声にも力が入る。彼らは本気だった。ラヴァルが「トイレに行かせてくれ」と叫んでも、失禁しても放置し続け、空腹を目で訴える彼の前でプレートに乗った料理をぶちまける酷い仕打ちを続けたのだ。そんなある日、過酷な状況に耐えきれなくなったのか、ラヴァルから驚きの証言が飛び出す。ミナール財団には有志たちが作った孤児院のような児童福祉が目的のサークルがあって、ラヴァルは「集められた子供たちはどこかに売られていったのではないか?子供たちを売買して売れ残ったら始末する、そんなことができる黒幕は財団の影の実力者ピエール・ゲラン(グレゴワール・コラン)しかいない」と主張したのだ。
だが、鵜呑みにはできない。ラヴァルから聞き出したピエールが潜伏する山小屋に向かったアルベールと小夜子は、猟師と一緒に山から帰ってきた彼を脅し、拘束。ピエールの入った寝袋を引きずりながら、猟師の追撃を振り切るように森林、丘陵地帯を駆け抜け、隠れ家に戻ると、ラヴァルの横の鎖にピエールを繋いでふたりを突き合わせる。するとやがて、彼らの口から、それまでのすべての出来事を覆す衝撃の真実が浮かび上がってきて…。 果たして、アルベールの娘マリーは、誰に、なぜ殺されたのか。事件の思いがけない首謀者とは─。国境を越えた“徹底的復讐劇”の先に待つ真実とは──https://eigahebinomichi.jp/

それではここから、小夜子の目的や行動理由、財団の悪事の概要、タイトルの理由、ラストの考察、西島秀俊演じる患者の存在が持つ意味について解説していきます。
新島小夜子の目的と裏切り
物語の序盤から、小夜子(柴咲コウ)がただの協力者ではなく、何らかの目的を持って行動していることは示唆されておりました。彼女はアルベールの復讐に加担していましたが、実際には彼を利用し、自身の復讐を遂げるために動いていた可能性が高いです。
アルベールは娘を殺した財団の悪事を暴こうとしていましたが、小夜子が彼を裏切る決定的な理由は、「アルベール自身が知らぬ間に財団の児童虐殺映像を販売していた」という事実です。これにより、小夜子は彼を単なる被害者ではなく、加害者でもあると認識し、その報復として彼を監禁し、映像を見せることで精神的に追い詰めました。
財団の悪事について
映画内で示唆される財団の実態は、人身売買、臓器売買、そして児童虐殺映像の販売です。表向きは児童福祉を掲げた組織ですが、その裏では子供たちを犠牲にし、利潤を得る犯罪組織でした。
アルベールの娘もこの財団の犠牲となった可能性が高く、彼はその真相を突き止めようとしておりました。しかし、その過程で自身も知らぬ間に犯罪に加担していたことが発覚し、最終的に小夜子から罰を受ける形となりました。
タイトル『蛇の道』の意味
タイトルの「蛇の道」は、「蛇の道は蛇」ということわざに由来していると考えられます。これは「悪事を知る者は同じ悪事に関わっている」という意味を持ち、物語の展開と非常にリンクしております。
アルベールは最初、復讐者として描かれますが、次第に彼自身も財団の一部として関与していたことが明らかになります。そして、小夜子もまた復讐のために手段を選ばず、罪を重ねていきます。こうした悪の連鎖や因果の絡まりが「蛇の道」そのものなのです。
ラストの夫との会話の考察
映画のラストで、小夜子は夫・宗一郎とビデオ通話をします。そこで宗一郎は「ふたりだけならうまくやれた。でも昔のことは忘れよう」と言い、小夜子は「娘を売ったのはあなた?」と問いかけます。このやり取りには2つの解釈が可能です。
1. 夫が本当に娘を売った説
この解釈では、小夜子の疑いには根拠があり、夫は実際に財団と関与していた可能性が高いです。宗一郎の「昔のことは忘れよう」という言葉は、罪を認めた者の発言にも聞こえ、過去の事実を隠そうとしているニュアンスがあります。
もしこの説が正しければ、小夜子の復讐は終わらず、次なる標的は夫となるでしょう。つまり、ラストの小夜子の表情は「さらなる復讐の決意」を意味しており、彼女の戦いはまだ続くことを示唆しています。
2. 小夜子が疑心暗鬼になってしまった説
もうひとつの可能性として、小夜子は復讐の果てに「誰も信用できない」状態になり、真実を歪めてしまったという考え方があります。夫の発言は単純に「過去の悲しみを乗り越えて、また2人で生きていこう」という意味だったかもしれません。しかし、小夜子は復讐に囚われすぎたあまり、夫さえも疑うようになってしまったとも考えられます。
この説が正しければ、小夜子は完全に復讐に飲み込まれ、事実よりも「憎しみ」に基づいて行動するようになったことを示しています。彼女の復讐は終わらないどころか、もはや目的を失い、次々と対象を変えながら暴走していく状態にあるとも言えるでしょう。
どちらの解釈が正しいのか?
映画はどちらの説が正しいか明言しておらず、観客に解釈を委ねる作りになっています。視点によっては夫が黒幕であるようにも見えますし、復讐に囚われた小夜子が妄想を膨らませているようにも映ります。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます。
ストーリーの考察に関しては概ね合っていると思うんですが、ラストについては各々の解釈に委ねる、それが黒沢清作品の特徴というか、魅力の一つです。

どの作品もモヤっと終わらせて、画面を離れてからも鑑賞者に考えさせる。これが黒沢清スタイルですね。『Chime』なんかはその真骨頂とも言えると思います。

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