あなたが最も犠牲を払えるものは何でしょうか?
映画『憐みの三章』をTOHOで鑑賞しました。
『哀れなるものたち』のヨルゴス・ランティモス監督の作品で、同じような作品を期待していくと大変驚かれると思います。
それ以前の『聖なる鹿殺し』や『ロブスター』、『籠の中の乙女』に近い作品で、むしろ『哀れなるものたち』とは対極にあるような作品です。
基本的にはブラックコメディなんですが、笑えない恐さを感じる作品で、難解さもあるストーリーになっているんですよ。
しかし、ヨルゴス・ランティモス監督の作風を理解すれば、かなりはっきりとこの映画で伝えたかったことがわかると思います。
ポイントはずばり、「愛」「支配」「犠牲」です。
今回の記事では、『憐みの三章』とこれまでのランティモス作品を比較しながら、本作が伝えたかったテーマについて解説していきます。
これまでの作品を分析すると、最近はやりの「シェアード・ユニバース」的なものも見えてきました。
映画を観てよく分からなかったという人はぜひ読んでみてね!
作品概要
『憐れみの3章』は、ヨルゴス・ランティモス監督による最新作で、主演はエマ・ストーン。
物語は、3つの異なるストーリーで構成されており、愛と支配をテーマにしています。
エマ・ストーンは、自己犠牲的な行動を通じて他者に親切を示す女性を演じ、その演技が作品に深みと緊張感を与えています。
エマ・ストーンとランティモス監督はこれまでにも『女王陛下のお気に入り』や『哀れなるものたち』でタッグを組んでおり、彼女はランティモス監督作でヌードシーンや際どい役どころを演じることが多いです。
『女王陛下のお気に入り』『哀れなるものたち』に続き、本作もかなり体当たりの演技になっております!
本作は別々の3つの物語で構成されるオムニバス形式。
第1章: 自分の人生を取り戻そうと格闘する、選択肢を奪われた男の物語。
第2章: 海で失踪し帰還するも別人のようになった妻を恐れる警官の物語。
第3章: 卓越した宗教指導者になるべく運命付けられた特別な人物を懸命に探す女性の物語。
それではここから、具体的にそれぞれの章を分析してみましょう。
本作のテーマと具体的なシーン
本作は、原題の「Kind of Kindness」が示すように、親切には様々な形があり、それぞれが異なる犠牲を伴うということを描いています。
ランティモス監督は、このテーマを通じて、人間の複雑な感情や行動を浮き彫りにしています。
「親切」を「愛」に置き換えて考えるといいかもしれないね。
第1章「R.M.Fの死」では、選択肢を奪われた男ロバート(ジェシー・プレモンス)が、自分の人生を取り戻そうと格闘する姿が描かれます。
具体的なシーンとして、ロバートがブルーのBMWにわざと突っ込む場面。
彼はその後、レイモンド(ウィレム・デフォー)に対して「人の死の責任を負うことはできない」と反発し、全てを失うことになります。
絶対的強者からの支配と、選択をしなくてもいいという環境に慣れてしまった人間。
そういった人間は自由を望んでも結果的には支配される方が楽なのでそちらに戻ってくる。という様子を皮肉たっぷりに描いていましたね。
第2章「R.M.F.は飛ぶ」では、海難事故から帰還した妻リズ(エマ・ストーン)を恐れる警官ダニエル(ジェシー・プレモンス)の物語が展開されます。
リズが無人島で保護されて帰ってきた後、彼女の言動が以前とは異なり、ダニエルは次第に彼女が別人ではないかと疑い始め、
ダニエルが精神的に追い詰められていく様子が描かれています。
愛の強さ故に、変化を受け入れることのできない夫。
そして伝え方が分からずどんな要求ものんでしまう妻。
二人の異常な生活を、猟奇的に描いていてコメディというには恐すぎる章でした。
しかし、この章で描かれるのは、「愛はどんな犠牲をも払うことができる」という、ストレートなメッセージでもあります。
第3章「R.M.F.サンドイッチを食べる」では、卓越した宗教指導者になるべく運命付けられた特別な人物を探す女性の物語が描かれます。
彼女がカルト集団の教義に従い、条件にぴったりと当てはまる人間を探す姿が印象的です。
家族を捨ててしまうほどの、カルト教団への異常な執着と強すぎる依存を描いています。
こういったドラマは日本でも観られるし、実際問題になっていることでもありますので、共感しやすいですね。
それではここから、ランティモス監督の過去作を振り返ってみましょう!
過去作と比較するとよく分かる
『籠の中の乙女』(2009年)
設定: 家族が外界から隔離された家で生活し、父親が子供たちに独自の教育を施す。
テーマ: 支配と自由の対立。
比較点: 『憐れみの3章』の第1章と同様に、選択肢を奪われた人物が自分の人生を取り戻そうとする点で共通しています。また、2章の「犬が支配する」島というのも、「猫が恐ろしく凶暴である」という設定に似た部分がありますね。
個人的にはこの作品が一番『憐みの3章』に近い気がします。
『ロブスター』(2015年)
設定: 独身者が45日以内にパートナーを見つけなければ動物に変えられる社会。
テーマ: 愛と社会の規範。
比較点: 『憐れみの3章』の第2章と同様に、個人のアイデンティティと社会の期待との葛藤が描かれています。コントロールされ切った社会への反抗という点では1章にも近い。しかし、最も面白いなと思うのが、2章の「犬が支配する島」の話です。『ロブスター』の設定のように、実はあの犬たちは元々人間だったのではないか?という気さえします。シェアード・ユニバースかもしれませんね。
『聖なる鹿殺し』(2017年)
設定: 心臓外科医の家族が、ある少年との出会いをきっかけに奇妙な出来事に巻き込まれる。
テーマ: 罪と贖罪、倫理的なジレンマ。
比較点: 『憐れみの3章』の第3章と同様に、倫理的な選択とそれに伴う犠牲が描かれています。特に、家族の一員が犠牲になることで他の家族が救われるという設定が、宗教的な犠牲のテーマと重なります。段々と支配されていく様も、全ての章と被っていますね。
ヨルゴス・ランティモス監督の中で最も強烈な作品です。
『女王陛下のお気に入り』(2018年)
設定: アン女王の寵愛をめぐって、2人の女性が争うお話。
テーマ: 貴族社会の愚かさ、支配欲
比較点:この作品は支配しようとする側の視点で描かれていますね。『憐れみの3章』で観ると、3章の教祖や2章の夫なんかに近い。コントロールする側をエマ・ストーンが演じているというのが、本作の名演に繋がっていますね。
哀れなる者たちとの対称性
『哀れなる者たち』が欲望の解放や自由をテーマにしているのに対し、『憐れみの3章』では、抑圧された状況下での人々の行動や選択が中心となっています。
『哀れなる者たち』では、キャラクターたちが欲望を解放し、自由を謳歌しようとする姿が描かれていますが(特にエマ・ストーン演じる主人公)、『憐れみの3章』では、愛や犠牲の多様な形を通じて、人間の複雑な感情や行動が浮き彫りにされています。
この対極性が、ランティモス監督の作品に一貫したテーマを持たせつつも、異なる視点からのアプローチを可能にしています。
欲望を解放することは生き物として自然だし、心地いいものだけど、万事そういう訳にもいかないよね。人間の感情や習慣というのは複雑で面白いよね。ってのが、2つの作品を通して伝えたいことだったのかもしれませんね。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます!
映画『憐れみの3章』について解説しました。
もし、ヨルゴス・ランティモス監督の過去作を観ていない人は、ぜひご鑑賞ください。
でも、どの作品もヘビーだから気をつけてね。特に『聖なる鹿殺し』に。
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