あの時帰っておけば…。話さなければ…。行かなければ…。抗っていれば…!
映画『胸騒ぎ』をシネマートで鑑賞しました。
デンマーク人家族が、休暇中にイタリアで出会ったオランダ人家族と親しくなり、家に招かれ、段々と雲行きが怪しくなっていく様子を描いたスリラー作品です。
もう、笑っちゃうくらい恐い映画なんですが、本当の恐さは別のところにあるような気がしてならない作品なんですよね。
えー、どういうこと?
本質的に伝えたいことは、ストーリーの裏側に隠されていると思うんだ。
今回の記事では、本作に隠された2つのメッセージについて解説していきます。
ネタバレを含む内容ですので、未鑑賞の方はご注意ください!
表面上のストーリー
まず、詳しい解説に入る前に、表面上のストーリーについて押さえておきましょう。
公式サイトのあらすじは以下の通りです。
イタリアでの休暇中、デンマーク人夫婦のビャアンとルイーセ、娘のアウネスは、オランダ人夫婦とその息子と出会い意気投合する。後日、オランダ人夫婦からの招待状を受け取ったビャアンは、家族を連れて人里離れた彼らの家を訪れる。再会を喜んだのも束の間、会話のなかで些細な違和感が生まれていき、それは段々と広がっていく。オランダ人夫婦の“おもてなし”に居心地の悪さと恐怖を覚えながらも、その好意をむげにできない善良な一家は、週末が終わるまでの辛抱だと自分たちに言い聞かせるが——。徐々に加速していく違和感は、観る者を2度と忘れることのできない恐怖のどん底へと引きずり込む。
https://sundae-films.com/muna-sawagi/#
『胸騒ぎ』の主人公は、デンマーク人の夫ビャアンです。
妻と娘と共に、オランダ人夫婦の家を訪ね、何だか様子がおかしくなっていくわけですが、私はこの主人公ビャアンの性格や人間性というのが一つこの映画のメッセージにおいて重要だと思っています。
ビャアンは、受け身なタイプ、どちらかというと気弱なほうだと思うんですね。
妻や娘にとって、なるべくいい夫として扱われるために、言われたことはある程度何でもやっちゃう。
それは他人との関わりにおいても同じで、ビャアンはオランダ人夫のパトリックに、いいように懐柔させられてしまうわけです。
パトリックは、明るい性格でもって、ビャアンに取り入り、時に優しい言葉をかけることで、ビャアンの心を掴むことに成功します。
ビャアンはパトリックを信頼してしまうというわけですね。
で、受け身なタイプの人間が、こういった人物と関わるとどうなってしまうのか。
これが一つ目のメッセージになります。
無抵抗であることへの警鐘
受け身なタイプや大人しい人はこういう場合、何をされても無抵抗になってしまいます。
『胸騒ぎ』では、ビャアンは最後の最後までパトリックとその家族に抵抗することはありませんでした。
これは、徐々に搾取されていったからだと思うんですよね。
ベジタリアンの妻に肉を食わされ、
娘を地べたに寝かされ、
レストランで大金を払わされ、
飲酒運転する車に同乗させられ、
ベッドシーンを覗かれ、
娘を裸の男の隣で寝かされ、
挙句の果てには娘を奪われ、
最後には、妻と自分の命まで奪われてしまいます。
段々と距離を縮め、懐に入り込まれてしまうことで、感覚がおかしくなってしまうんでしょうね。
で、これが何を意味しているのかというと、国の政治に対して、自分たち国民もそうなってはいないかという警鐘だと思うんです。
デンマークでは、今政治的に大きな変化が訪れています。
「世界で最も幸せな国」と言われていたデンマークは、少し様子が変わってきているんですね。
福祉が充実していることで、不正受給が問題になってしまい、厳しい審査や監視を受けることになってしまいました。
それによってどうなるかというと、ヨーロッパ全体がそうですが、右派の思想が強くなってきているんです。
国の政治が変わり、いろんな政策が徐々に導入される。何も声をあげずに受け身でいると、どんどん搾取されていっちゃうよという、クリスチャン・タフドルップ監督からのメッセージなのではないかなと思います。
舌を抜かれた子どものように、静かではいけない。と。
映画のラストシーンでは、よく観ると石を投げられる主人公夫婦の横には、たくさんの石が積まれているんですよ。
この時、いくらでも投げ返すことはできたし、そもそも逃げるチャンスだって何度かあった。
でも、追い込まれた彼らは、何もせずに無抵抗だった…。
そういった恐さを暗に伝えているのではないでしょうか。
日本人だって、他人事ではありませんよね。
また、本作では、デンマークに訪れているもう一つの危機を描いています。
デジタル社会への警鐘
デンマークでは、デジタルを用いたサービスが発達しています。
もちろん社会サービスにもそれは適応され、オンラインでワンクリックで離婚が成立する「クリック離婚」というのが話題になっているほどです。
日本で離婚するのは中々大変ですもんね…。役所に行って数々の書類手続きを要するはずです。
デンマークは2018年に、デジタル技術をいかに行政運営の効率化につなげているかを図るランキング「国連電子政府ランキング」において世界1位になりました。
転居や結婚届、診療予約、納税申告などなど…、暮らしに直結する手続きの大半を、ウェブの中でできるんです。
日本では忙しい時間を縫って、区役所に足を運ばなければならないことばかりですね…。
これは、国民一人ひとりに割り当てられる識別番号やパスワードを使って、市民ポータルサイトにログインすればいいだけなのだとか。
しかし、これによって、国民一人一人を監視し過ぎているのではないかという意見もあります。
映画でも、監視していることを示唆する上記のようなシーンは見られましたね。
また、デンマーク人は、多くのことをデジタルに頼っていましたが、オランダ人のパトリックは、それを毛嫌いしているという対立構造になっていました。
映画をよく観ると、ストーリーとはほぼ無関係である、スマホで動画や写真を撮るシーンが意味深に映されています。
夫ビャアンは、やや紙の本を読んだり、絵本を読み聞かせたりと、アナログ思考が残っているように見え、妻の方にこういったデジタル思考があるように描写されていました。
妻がデジタルデバイスに触れている時のビャアンの視線は何だか厳しいように見えましたね。
最後は妻が電話することで、悲劇のクライマックスに向かってしまったわけですし。
これもまた、デジタル化は何も恩恵ばかりではなく、監視社会の危険もまたあるんだぞというメッセージなのではないでしょうか。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます!
映画『胸騒ぎ』に込められた2つのメッセージについて解説しました。
普通に観ても恐いしゾッとしますが、色んなことを考えながら観ると、一層恐怖が増す作品です。
ストーリーも面白いから二重に楽しめるね!
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