私たちを100万年も待っていたのね
映画『ピクニックatハンギング・ロック』を鑑賞しました。
本作は、1975年に公開された作品ですが、約50年の時を経て、2024年に4Kレストア版として復刻し、全国の映画館でリバイバル上映されています。
ジョーン・リンジーによる1967年の小説、『ピクニック・アット・ハンギングロック』を原作として映像化した作品。
監督はピーター・ウィアー。
ピーター・ウィアー監督といえば、『トゥルーマン・ショー』『いまを生きる』など、大ヒットした感動傑作もあるんですが、この『ピクニックatハンギング・ロック』はミステリーものなんです。
どうして感動作ではなく、この一風変わった『ピクニックatハンギング・ロック』が4Kレストアされるほど今なお注目を集めるのか。
この映画はしばしば「映画史上最も美しい謎につつまれた作品」と呼ばれます。
今回の記事では、そんな『ピクニックatハンギング・ロック』の美しさと謎の考察について、鑑賞した感想と共にお伝えしていこうと思います。
まずは公式サイトのあらすじから!
1900年、2月14日。セイント・バレンタイン・デイ、寄宿制女子学校アップルヤード・ カレッジの生徒が、二人の教師とともに岩山ハンギング・ロックに出かけた。規律正しい生活を送ることを余儀なくされる生徒たちにとってこのビクニックは束の間の息抜きとなり、生徒皆が待ち望んでいたものだった。岩山では、力の影響からか教師たちの時計が12時ちょうどで止まってしまう不思議な現象が起こる。マリオン、ミランダ、アーマ、イディスの4人は、岩の数値を調べると言い岩山へ登り始めるが、イディスは途中で怖くなり悪鳴を上げて逃げ帰る。その後、岩に登った3人と教師マクロウが、忽然と姿を消してしまう・・・
https://picnic-at-hanging-rock-jp.com/#story
フィクションかノンフィクションか
まず、公式サイトのintroductionにも書かれている通り、本作は公開時に「これはフィクションか、ノンフィクションか」というのが大きな話題となり、最大の謎となっていたそうです。
結論から申し上げますと、完全なるフィクション。作り話です。
原作者のジョーン・リンジーが、七十歳のときに見た夢をもとに書き上げたお話なんだそうです。
あたかも実際にあった出来事かのように演出されるんですが、実際には1900年の2月14日バレンタインデーは水曜日でしたが、小説の中では土曜日ということになっています。
当時の家政婦によると、ジョーンリンジーは、自身が見た夢を一心不乱に書き起こしていたそうです。
夢を日記につけるのって、精神衛生的にあまりよくないって聞きますよね。夢と現実がごっちゃになるとか、自分の潜在意識に近すぎるという理由で。
この映画から受ける、どことなく感じる怪しさとか、それであってもっと知りたくなってしまうような甘美で誘惑的な雰囲気は、そういうところからきているのかもしれませんね。
また、物語の登場人物の一人、アルバートも、自分が見た奇妙な夢について語るシーンもありました。
現実と同じ部分もある
しかし、一切合切がフィクションという訳ではなくて、現実と同じ部分や近しい部分もあります。
ハンギングロックという場所や、作中で登場した町は、ビクトリア州マウント・マセドン周辺に実在する場所なんです。
また、原作者のジョーン・リンジーは、ビクトリア州セント・キルダ・イーストにあったクライド・スクールという学校に通っており、アップルヤード学院はこの学校が基となっています。ハンギング・ロックは、学校から10㎞ほどの場所にあったそうです。
何より、この作品で描かれるハンギング・ロックを中心とした自然の風景。
あの美しさは本物です。
当時のオーストラリア文学では、イギリスの植民地集落であるとか、占領的な問題をテーマにしたものが多かったのですが、本作はそういったテーマには触れず、オーストラリアの自然の雄大さを描写している点が素晴らしい。
映画では視覚的にそれを味わうことができるので、観ていてうっとりするようなカットもたくさんあります。
コアラも一瞬だけ出てきますよ。
様々な謎について
『ピクニックatハンギング・ロック』では、様々な謎が宙ぶらりんの状態で終わってしまいます。
これもまた、「現実の未解決事件なのでは?」と思わせてしまう要素の一つでありますし、この映画がミステリアスな魅力を放っている理由です。
解決していない謎としては、
・結局少女たちはどうなったのか。
・どうしてマクロウは下着すがたで失踪したのか。
・アーマはなぜコルセットを外していたのか。
・セーラは誰に殺されたのか。
・校長の死因は何なのか。
・アルバートとセーラはなぜ出会わなかったのか。
・マイケルはミランダになぜ魅かれていたのか。あるいは二人の間に何かあったのか。
などなど、たくさんの謎が謎のまま終わります。
まあ、夢でみた内容をそのままホンにしたんだから、謎は謎のままなんですが、
実は原作には削除された最終章というのがございます。
それを知れば、失踪した少女たちの謎については、一応の解決はするのです。
削除された最終章 少女の行方について
小説版で削除され、映画でも描かれなかった最終章の内容は以下の通りです。
削られた最終章は、イーディスがピクニック場へ逃げ帰り、ミランダ、アーマ、マリオンがハンギングロックを登り続ける場面から始まります。3人が山頂の草原を歩いていると、振動と共に、巨大な石柱のようなものが現れ、それに引き込まれるような錯覚に陥ります。石柱が消えると、3人の少女たちは眠気に襲われ、その場に眠り込んでしまう。数時間後、3人が目覚めると、空は赤く染まっています。そのとき、草原の地面が割れ、その中から、道化師のような恰好をした女が跳び出してくるのです。その女は「そこを通して」と叫びますが、アルマが「かわいそうに、病気なのね。どこからきたのかしら?」と語りかけ、女の服を脱がせます。すると、次は女がその場に眠り込んでしまう。マリオンが「なぜ私たちは、みんなこんなばかげた服をきているの?結局いいなりになっているだけよ」と語りだし、3人全員が制服を脱いで、コルセットを崖から放り投げます。まるで時間が止まっているかのようにコルセットが宙に浮いていること、影が出ていないことに気づく3人。その後、少女たちは空間に空いた穴に出くわし、女性が入っていったのにマリオンも続き、続いてミランダもマリオンを追います。しかし、アーマが躊躇している間に穴は閉じ、アーマは女が出現する前の、岩山の山頂の乾いた荒野に座っていました
ざっとこんな感じ。
とってもファンタジーというかSFというか、そういった雰囲気の最終章なんです。
でも実は、磁場の強い場所である設定とか、不思議な轟音のようなもの、惹きつけられている描写のようなものは映画でも描かれていたので、少なからずそういったSFチックな失踪であるという伏線はあるんですよね。
しかし、この最終章を入れてしまうと、もろに作品がSF・ファンタジー寄りになってしまうということで、編集者のサンドラ・フォーブズの提案で削ったという運びだそうです。
これによって、「これは本当にあったことなのでは…?」という噂がいい方向に働き、ヒットにつながったのだから、作戦としては大成功ということになりますよね。
そのオチがあるバージョンも、観てみたいもんですが。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます!
映画『ピクニックatハンギング・ロック』について解説しました。
いろいろな謎を残すので、余韻がたまらなく残る作品で、すっきりしない人もいるかもしれませんが、それにはこういった事情があるんですね。
映画では自然の美しさもたっぷり楽しめるのがいいよね!
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