『羅生門』黒澤明は名著をこう解釈した

クライム・サスペンス映画

有難いこった お主のおかげで 私は人を信じていくことができそうだ

黒澤明監督の代表作『羅生門』を鑑賞しました。

『羅生門』は、1950年に公開された黒澤明監督の映画で、芥川龍之介の短編小説『藪の中』を原作とし、タイトルや設定は同じく芥川の短編小説『羅生門』に基づいています。

この映画は、平安時代を舞台に、ある武士の殺害事件を巡る目撃者や関係者の食い違った証言を描いているのが。特徴です。

第12回ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞 第24回アカデミー賞 名誉賞(現在の国際長編映画賞)など、海外からも高い評価を受けている作品です。

ダニー
ダニー

タイトルが『羅生門』なのに、原作は『藪の中』ってどういうこと?

bitotabi
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黒澤明監督は『藪の中』を読んで、『羅生門』に繋がる共通のメッセージがあると解釈したからなんだ。

今回の記事では、映画『羅生門』がどうしてここまで高く評価されるのか、また、『藪の中』の黒澤明監督の解釈とは何だったのか、解説していきたいと思います。

映画概要

公開年:1950年 監督: 黒澤明
メインキャスト:
多襄丸(盗賊): 三船敏郎
真砂(武士の妻): 京マチ子
金沢武弘(武士): 森雅之
杣売り: 志村喬
旅法師: 千秋実
あらすじ:
物語は、平安時代の京都で、羅生門の下で雨宿りをしている3人の男たちが、ある武士の殺害事件について語り合うところから始まる。事件の目撃者や関係者がそれぞれ異なる証言をすることで、真実が曖昧になっていく。

盗賊・多襄丸の証言では、多襄丸は武士の妻・真砂に欲情し、武士を捕らえて彼女を手篭めにしたと語る。その後、真砂の提案で武士と決闘し、勝利したと主張する。

妻・真砂の証言では、真砂は多襄丸に襲われた後、夫が自分を軽蔑する目で見たため、夫を殺してくれと頼んだと語る。気絶して目覚めると、夫は既に死んでいたと証言する。

武士・金沢の霊の証言では、巫女を通じて語られる金沢の霊が、妻が多襄丸に情を移し、自分を殺すように頼んだと語る。妻が逃げた後、自ら短刀で自害したと証言する。

最後に、実際に事件を目撃していた杣売りの証言では、真砂が二人の男を戦わせた後、逃げ出したと語る。真実は誰の証言にも含まれておらず、各自のエゴイズムが浮き彫りになる。

 



小説『羅生門』との違い

冒頭でもお伝えしました通り、本作のストーリーは『藪の中』をなぞって作られています。『羅生門』は、老婆が死体から髪の毛を剥ぐという話ですので、もう全然違うんです。

どうして黒澤明監督は、タイトルを『羅生門』に変えるような、ややこしいことをしたのでしょうか。

それに関しては後述しますが、まずは小説『羅生門』との違いをざっくりと解説しておきます。

原作の違い

映画『羅生門』は、芥川龍之介の短編小説『藪の中』を主な原作とし、タイトルや主たるテーマは『羅生門』に基づいています。

一方、小説『羅生門』は、羅生門の下での出来事を描いた短編小説です。

『羅生門』は、平安時代の京都を舞台にした物語だ。ある日、仕事を失った一人の下人が、荒れ果てた羅生門の屋根裏で雨宿りをしていた。そこには、死体の髪の毛を抜いてかつらを作ろうとする老婆がいた。下人は老婆の行為を非難するが、老婆はその死体の女性が生前に悪事を働いていたことを理由に、自分の行為を正当化する。この出会いをきっかけに、下人は生きるために盗賊として生きることを決意する。

というお話です。

 



登場人物

小説『羅生門』には、下人と老婆が登場しますが、映画には登場しません。映画の登場人物は、盗賊、多襄丸、武士、武士の妻、杣売り、旅法師などです。

bitotabi
bitotabi

この杣売りや旅法師、盗賊がいることによって、真相が明らかになるんですよね。

テーマとプロット:

小説『羅生門』は、下人が老婆から着物を奪うというシンプルなプロットで、善悪の曖昧さや人間のエゴイズムを描いています。映画は、武士の殺害事件を巡る複数の証言を通じて、真実の曖昧さと人間のエゴイズムを描いています。

『藪の中』の真相を描いた黒澤明

芥川龍之介の『藪の中』は、複数の証言が食い違うことで真相が曖昧になり、読者も真実が何なのか分からないまま終わるという斬新な構成が特徴です。

今でこそ、伊坂幸太郎のような複数の視点から同じストーリーをなぞるような小説もたくさんありますが、当時は本当に斬新だったんですよね。映画でも「羅生門方式」って感じで、複数の視点で物語を進めたり、違う見せ方をしたりする作品が生まれてます。『ファイトクラブ』とか『落下の解剖学』もそうですね。

で、この小説では最終的に誰の言っていることが正しいのかということが明言されないんですよ。だから、「これって一体どういうこと?」って疑問が残るんです。

bitotabi
bitotabi

だから、私もはじめて読んだ時めちゃくちゃモヤモヤしました。

しかし、映画では杣売りと旅法師、盗賊というキャラクターの語り合いによって、真相が明らかになり、多襄丸、真砂、金沢の証言が、どれも嘘であるということが分かるんですよ。

黒澤明の解釈

黒澤明監督は、『藪の中』について、この曖昧さと人間のエゴイズムをテーマとして捉え、映画『羅生門』に落とし込んだのです。

つまり、『藪の中』でそれぞれの証言が食い違うのは、視点や立場の違いで捉え方が変わったというレベルの話ではなく、人間はエゴを持ち、自分のために嘘をつく。そういった人間の恐ろしさやおぞましさ、愚かさを描いていると解釈したんてますね。

そして、これはそのまま、『羅生門』に繋がるだろうと。

なので、映画の舞台設定やタイトルには、芥川の別の短編小説『羅生門』の要素を取り入れています。これにより、映画は独自の物語を作り上げつつ、原作のテーマを深く掘り下げています。

この解釈とミックスによって、映画『羅生門』は人間の本質を鋭く描き出す作品となり、国際的にも高く評価されました。

 



感想

私は、観始める前と途中まで、多襄丸が嘘つく理由が分かりませんでしたが、真相を知ると非常に納得できました。

多襄丸も夫もそれでも男かと言われた上に、実は双方大した腕を持っていなかったんですよね。

多襄丸も嘘をつかねば己のプライドを守れなかったと。

この腰の引けた闘いが何ともリアルでいいんですよね。『酔いどれ天使』もこんなんでした。あの辺のリアリズムがまたたまりません。

で、武士の妻真砂は自分の非情を隠して、これからもいい女として生きていきたかったと。

ゾクゾクしますよね。

でも私はやっぱりあの救いのあるラストが好きです。志村喬らしい役というか。

「無理もねえ 今日という日を 人を疑らずにいられるはずがねぇ」
「恥ずかしいのはワシだ ワシにゃあワシの心が分からねえ」
「いや、有難いこった お主のおかげで 私は人を信じていくことができそうだ」
「とんでもねえ…」

日本人の美徳というか、貧しくてもたまにずるいことをしてしまっても、心根は優しい。

誠実で真面目であろうとすべしだというね。

そういう日本人像を世界にアピールしたというところでしょうか。

日本人が真面目だ、優しい国民性だと世界的に認識されているのは、黒澤明と小津安二郎の映画によるところが大きいんじゃないかと思います。

しかし果たして今日、日本人はどうでしょうか。黒澤明が描いたような美しい心を持つことができているんでしょうかね。

あなたは、あの赤ん坊を救うことができるでしょうか。

今日の映学

最後までお読みいただきありがとうございます!

映画『羅生門』について原作との違いや、黒澤明の解釈について解説しました。

bitotabi
bitotabi

終盤でこんなにスッキリしながら、ずっしり重みを感じるとは思いませんでした。

ダニー
ダニー

『藪の中』って、そういう話だったんだね。

 

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