ロバート・ゼメキスの映画を観る時は注意?秘められたプロパガンダ

映画

ロバート・ゼメキス監督と『フォレスト・ガンプ』のスタッフによる新作『HERE 時を越えて』公開を機に、過去作に潜む政治的、社会的なメッセージを考察します。

ロバート・ゼメキス監督は、不朽の名作を世に送り出してきた巨匠です。その卓越した映像技術心を掴む物語は多くの人々を魅了してきました。しかし、その魅力の陰には、注意深く目を凝らすべき側面が潜んでいるかもしれません。

bitotabi
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『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『フォレストガンプ』を好きな映画として挙げる方も多いと思うんですが、この2作は特に、少し落ち着いた目線で観る必要があるというか、手放しで感動しないほうがいいんです。

ダニー
ダニー

もし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『フォレストガンプ』が大好きで、余計なことは知りたくない、これからも100%鵜呑みにして感動したいって人は、この記事を読まないでね。

本稿では、代表的な作品を再考し、エンターテイメントに包まれた潜在的なプロパガンダの可能性について考察します。

プロパガンダとは、特定の思想や目的を広めるために、意図的に行われる情報操作や宣伝活動を指します。本稿では、ロバート・ゼメキス監督の映画に、そのような意図が潜在的に含まれている可能性について考察していきます。

過ぎ去りし日のユートピア?『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のノスタルジア

SFコメディの金字塔『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、高校生が1955年にタイムスリップする物語です。多くの観客を惹きつけた要因の一つに、郷愁を誘う魅力的な舞台として描かれた1950年代のアメリカがあります。

1955年のヒルバレーは、現代と比較してどこか牧歌的で、人々の間に温かい繋がりがあるように描写されています。ダイナーの様子や家族団らん、ロックンロールの熱狂は懐かしさを呼び起こします。しかし、この理想化された描写は客観的でしょうか?

1950年代のアメリカは、経済的な繁栄の裏で、人種差別や女性の社会進出の遅れといった社会問題を抱えていました。映画ではこれらの負の側面はほとんど描かれず、むしろ古き良きアメリカの輝かしいイメージが強調されています。この選択は、批判精神を薄め、保守的な価値観を肯定する効果をもたらしている可能性はないでしょうか。

さらに注目すべきは、1986年のレーガン大統領の一般教書演説におけるセリフの引用です。

元俳優であったレーガン大統領が、大衆文化に関心を持っていたことは想像に難くありません。

その演説の中で、レーガン大統領は映画のラストシーンのセリフである「As they said in the film ‘Back to the Future,’ ‘Where we’re going, we don’t need roads.’(映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で言っていたように、『俺たちの行く先に道はいらねえんだ』)」と述べています。

この引用は、アメリカの未来への楽観的な姿勢を示す文脈で用いられました。

映画の持つ前向きなメッセージが、当時の政権の方向性を肯定的に示唆した可能性はないでしょうか。

また、劇中の「より良い教育と減税」というセリフは、レーガン政権の政策を彷彿とさせます。直接的な繋がりはないものの、大統領の言及は両者の間に何らかの共鳴があった可能性を示唆していると言えるでしょう

 



個人の成功物語の裏側?『フォレスト・ガンプ』が語るアメリカ

『フォレスト・ガンプ』は、純粋で誠実な主人公の人生を、アメリカの重要な歴史的出来事と重ねて描いた感動作です。フォレストのひたむきな生き方は多くの人々に感動を与えました。しかし、その裏側には読み解くべきメッセージが潜んでいるのではないでしょうか。

フォレスト・ガンプというキャラクターは、勤勉さ、正直さ、愛国心といった保守的な価値観を体現しています。彼は、与えられた環境で懸命に生き、善意に基づいて行動します。その結果、予期せぬ成功を収め、多くの人々の人生に貢献します。この物語は、個人の努力と誠実さがあれば成功できるという、アメリカンドリームの理想像を体現していると言えるでしょう。

一方、フォレストが恋心を抱くジェニーは、自由奔放で、反戦運動に参加するなど、フォレストとは対照的な生き方を送り、悲劇的な結末を迎えます。この対比は、フォレストの生き方を肯定的に、ジェニーの生き方を否定的に描いていると解釈できます。これは、保守的な価値観を称揚し、リベラルな思想を暗に批判する意図を示唆しているのではないでしょうか。

また、映画はベトナム戦争や公民権運動といったアメリカ社会の暗部にも触れていますが、フォレストの視点を通して描かれることで、社会構造的な問題や複雑な背景が十分に掘り下げられていない印象を受けます。純粋な視点を通して歴史を描くことで、批判的な視点を弱め、アメリカの歴史を肯定的に捉えようとする意図が働いている可能性も否定できないでしょう。

監督の意図と観客の視点

もちろん、監督自身が明確な政治的意図を持っていたと断定することは難しいです。映画は多層的であり、監督の意図と異なる解釈が生まれるのは当然です。観客それぞれの経験や価値観によって、受け取るメッセージは異なります

しかし、製作された時代背景や社会情勢を考慮に入れることで、作品に潜在するメッセージをより深く理解することができます。特に、大衆に大きな影響力を持つ映画というメディアにおいては、製作者の意図に関わらず、特定の価値観やイデオロギーが強化される可能性があります。

 



批判的思考という名の羅針盤

ゼメキス監督の作品は、高いエンターテイメント性で多くの観客を魅了してきました。しかし、その物語に身を委ねるだけでなく、時には立ち止まり、提示される世界観や価値観を批判的に検証する視点を持つことが重要です。

「秘められたプロパガンダ」という言葉は過激かもしれません。しかし、あらゆる表現には、作り手の意識的、無意識的なメッセージが込められている可能性があります。

エンターテイメントとして楽しむと同時に、その背後にある意図を想像し、自身の価値観と照らし合わせることが大切です。そういった視点を持つことこそが、情報過多な現代社会における羅針盤となるでしょう。

 



より深い映画鑑賞へ

ゼメキス監督の映画は、私たちに夢と希望を与えると同時に、社会や歴史、そして私たち自身の価値観について深く考えさせる可能性を秘めています。注意深く鑑賞することで、映画という芸術をより深く理解できるはずです。

新作映画が過去へのノスタルジーを強く喚起するならば、それは現代社会における回帰願望の高まりを反映しているのかもしれません

特に、アメリカのトランプ政権の支持層には、かつてのアメリカの繁栄を懐かしむ人々がいました。過去の理想化されたイメージの提示は、そのような支持層の感情的な願望に訴えかける可能性があります。また、過去の美化が現代社会の多様性や進歩を軽視するならば、社会の分断を深める懸念もあります。さらに、過去の家族像や社会規範の肯定は、保守的な価値観を強化する意図を示唆するかもしれません。新作の鑑賞を通して、過去の描写が現代にどのような意味を持つのか、そしてそれが特定の政治的な潮流とどう共鳴するのか、批判的な視点を持って考察することの重要性を認識したいと思います。

今日の映学

最後までお読みいただきありがとうございます。

ロバート・ゼメキス監督の映画を観る際は、注意が必要であるというテーマについてお伝えしました。

bitotabi
bitotabi

気楽に観るのもいいですが、多様な視点を以て映画を観ると、また感じ方が変わってくるはずです。表面ではこうだけど…。という奥行きを楽しめる人はぜひ。

ダニー
ダニー

とはいえ、映画の見方はひとそれぞれだからね。

 

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