この曲を本気で聴いたものは 悪人にはなれない
映画『善き人のためのソナタ』をアマゾンプライムで鑑賞しました。
1984年、ドイツが東西に分かれていた時代に、東ドイツの国家保安省で働く男と芸術家カップルについて描いた社会派作品です。
ドイツの社会派作品といえば、ホロコーストの時代が描かれることのほうが多いので、東ドイツの文化統制やシュタージについて描いたこの作品はとても貴重で勉強になるなと思いました。感動します。
文化統制?シュタージ?
そのあたり、よく分からないよね。詳しく解説していくよ。
作品概要
タイトル: 善き人のためのソナタ (原題: Das Leben der Anderen)
公開年: 2006年
監督・脚本: フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
出演: ウルリッヒ・ミューエ (ゲルト・ヴィースラー大尉)、マルティナ・ゲデック (クリスタ=マア・ジーラント)、セバスチャン・コッホ (ゲオルク・ドライマン)、ウルリッヒ・トゥクル (アントン・グルビッツ中佐)、トーマス・ティーメ (ブルーノ・ハムプフ大臣)
音楽: ガブリエル・ヤレド、ステファヌ・ムーシャ
撮影: ハーゲン・ボグダンスキー
編集: パトリシア・ロンメル
製作国: ドイツ
上映時間: 137分
受賞歴: 第79回アカデミー賞外国語映画賞、ヨーロッパ映画賞作品賞、脚本賞、男優賞、ドイツ映画賞作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、助演男優賞、美術賞、撮影賞など多数
あらすじ:1984年の東ベルリン、国家保安省(シュタージ)の局員であるヴィースラー大尉は、国家に忠誠を誓うベテラン尋問官です。彼は反体制の疑いがある劇作家ゲオルク・ドライマンとその恋人である舞台女優クリスタ=マリア・ジーラントを監視する任務を受けます。ドライマンのアパートに盗聴器を仕掛け、徹底した監視を開始するヴィースラー。しかし、彼らの生活を監視するうちに、ヴィースラーは次第に彼らの世界に共鳴し始めます。特に、ドライマンが弾くピアノソナタを耳にした時、ヴィースラーの心は大きく揺さぶられ、彼の人生観が変わっていくのです。この映画は、冷戦時代の東ドイツにおける監視社会の実態を描き、個人の自由と国家の抑圧の対立をテーマにしています。ヴィースラーの内面の変化を通じて、人間の良心と共感の力を描いた感動的な作品です。
シュタージ
東ドイツの秘密警察であるシュタージ(Stasi)は1950年に設立され、東ドイツの国家保安省の略称です。彼らは主に対外諜報活動や自国民の監視を行い、約40年間にわたり恐るべき監視社会を築き上げました。
シュタージは、正規職員9万人以上と数多くの非正規職員を抱え、国中に監視ネットワークを張り巡らせていたんですね。
彼らは街中のあらゆる場所に監視カメラを設置し、民間人に対する盗聴も行いました。ゴミ箱やドラム缶、鞄や腕時計など、至る所に監視カメラが仕掛けられていたのです。
映画の中で、「灰色の者たち」というフレーズが出てくるんですが、それはこのシュタージを指します。
当時の東ドイツの様子
東ドイツ(ドイツ民主共和国)は、1949年から1990年まで存在した社会主義国家で、ソ連の影響下にあったのです。
東ドイツは徹底的な監視社会であり、反体制派の弾圧が行われていました。シュタージは街中のあらゆる場所に監視カメラを設置し、民間人に対する盗聴も辞さなかったのです。
東ドイツの人々は、政府に対する批判を恐れ、政治の話をすることもできませんでした。
資本主義を肯定するような発言は絶対に許されず、密告が奨励されていました。
非公式協力者と呼ばれる民間人による匿名の監視者が約18万9千人も存在し、彼らは職場や近所の人々の言動をシュタージに報告していたんですね。
文化統制
本作では、劇作家や俳優、演出家にまで、厳しい監視をされている描写がありました。
東ドイツでは、文化統制も厳しく行われていたのです。
東ドイツ文化連盟(Kulturbund)は、1945年に設立され、反ファシズム的・ヒューマニズム的な関心に基づいて活動していました。
しかし、政府の監視下での活動であり、自由な表現は制限されていました。
東ドイツの文化政策は、社会主義リアリズムを推進し、国家のイデオロギーに沿った作品のみが奨励されました。
西側の文化や思想は排除され、国民は政府のプロパガンダに従うことを強いられました。
ゴルバチョフの新聞記事
最後に登場するゴルバチョフの新聞記事は、冷戦終結と東ドイツの変革を象徴しています。
ゴルバチョフはソ連の最後の指導者であり、彼の改革政策(ペレストロイカとグラスノスチ)が東ドイツを含む東欧諸国の民主化運動を促進しました。
この新聞記事は、主人公の変化と自由への希望を示唆しているのです。
善き人のためのソナタは間違い?
よくこの映画のタイトルについて、「善き人のためのソナタ」は間違いであると指摘されることがありますが、あながち間違いでもないのかなと思います。
「Sonate vom guten Menschen」を直訳すると「善き人のソナタ」や「善き人によるソナタ」となります。日本語タイトルの「善き人のためのソナタ」は、少し意訳されていますが、映画の内容やテーマを考えると、適切な翻訳とも言えますよね。
映画の中で、ドライマンが弾くピアノソナタは、彼の友人であるイェルスカが彼に贈ったものであり、イェルスカの善意や友情が込められています。このため、「善き人のためのソナタ」というタイトルは、映画の感動的な要素を強調するための意訳と考えられます。
感想
あの時代、厳しい文化統制があったことは知っていました。ブラックジャックでも、厳しい文化統制によって大好きなクラシック音楽を聴けなくなって、手術室で音楽を聴くお医者さんの話があったような気がします。
でも、それに関する映画を観たのは初めて。
これはなかなかグッときますね…。
音楽や舞台のような芸術やそれにかける熱い想いというのは、人や時代を変え得るのかもしれないなと思いました。
ヴィースラーは、ドライマンとCMSを盗聴するうちに、彼らの人間性や音楽にかける想い、そして亡くなった演出家が残した音楽の素晴しさに触れ、次第に彼らに同調していくようになっていきました。
これ、変わったというよりも、ヴィースラーは元々こういう人で、それが徐々に戻っていったように私には見えたんですよね。
国がどんなに厳しい法で人々を縛ろうとも、完全にそれに迎合することはできない。政府関係者や警察のような立ち位置の人でさえも。
かつては東ドイツやスペインで厳しい文化統制が強いられていました。しかし現在も、中国やイランでは、厳しい文化統制がなされています。
ジャファル・パナヒ監督なんて、それと今なお闘い続けています。
はたして日本はどうなんでしょうね。
文化統制ほど厳しいものはないとは思います。
しかし、国民が歴史や政治に興味を持たないように、薄氷な教育を受け、不明瞭な政党のPRを聞かされ、考えられないようにデザインされている気はするんですよね。私が無教養なだけかもしれませんが。
映画や音楽も、思想の強いものはあまり表には出ず、気楽なものが流行っているとされている。そんな情報が多いんじゃないでしょうか。強いものではないけど、これはこれでプロパガンダの匂いをほんのり感じます。
作りたいものを作り、歌いたいことを歌い、言いたいことを言える。100%の疑いや縛りが無くできるといえるのかな。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます!
映画『善き人のためのソナタ』の解説と感想をお届けしました。
文化統制の中でも、人の情熱まで縛ることはできない。音楽を含めた表現活動の力強さを感じられる作品でした。
今なお文化統制を強いられている国もあるんだって知ってたいよね。
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