古典落語とクラシカルシネマの意外な共通点!
映画「素晴らしき哉、人生!」を鑑賞しました。
私は本作が大好きで、これまで何度も録画や配信で鑑賞してきたのですが、今回は少し違ったスタイルで鑑賞しました。
えぇ~、どんなスタイルで観たの???
なんと、古典落語と一緒に鑑賞したんだよ!
古典落語×クラシカルシネマ
先日こんなイベントに参加しました。
桂米紫さんの落語と、名作映画を楽しむというイベントです。
桂米紫さんは、かつては映画監督になる夢を抱いていたほどの映画好きだそう。
落語は「はてなの茶碗」でした。
全然関係ない話を掛け合わせるわけではなく、どこか共通点のある話をチョイスしているのです。
「はてなの茶碗」と「素晴らしき哉、人生!」が、どのように関連付けられるのか、とても気になりますよね…!
「素晴らしき哉、人生!」あらすじ
世界旅行という長年の夢をあきらめて、父の営む良心的な住宅ローン会社を継いだジョージは、ある陰謀で会社が窮地に追い込まれ、絶望の末に自殺しようとする。そこに現れた2級天使のクラレンスは、「ジョージがこの世にいなかったら」という架空の世界に連れていく…
Amazon Prime Videoより引用
ジェームス・スチュアート演じる主人公が、窮地に追い込まれ、希死を抱き、「もし、自分がいなかったら…」という世界を観ることとなり、これまでの人生を振り返るというストーリーです。
「はてなの茶碗」あらすじ
京都、清水の音羽の滝のほとりで、大阪出身の油屋の男が茶屋で休憩していた。そこに京では有名な茶道具屋の金兵衛、通称「茶金」が、茶屋の茶碗のひとつをひねくり回しながら、しきりに「はてな?」と首をかしげた後、茶碗を置いて店を出た。それを見ていた油屋は、あの茶金が注目していたことからさぞかし値打ちのあるものに違いないと考え、茶屋の店主にその茶碗を買いたいと申し出る。同じことを考えていたため断る店主であったが、油屋は売ってくれなければ過失を装って割ってしまうと脅迫まがいの交渉を行い、最終的に二両で茶碗を手に入れる。
Wikipediaより引用
油屋はさっそく茶碗を緞子と桐箱に収めると茶金の店へ押しかけ、応対した番頭に千両の値打ちがあると言って茶碗を売り込むが、どう見てもただの数茶碗に番頭は買い取りを拒否する。しかし、自信がある油屋はごね、番頭と押し問答となり、最終的に金兵衛自ら出てくる。茶碗について聞かれた金兵衛は、ヒビも割れもないのに、どこからともなく水が漏れるので、「はてな?」と首をかしげていただけだと明かす。油を仕入れる金も残っていないと意気消沈する油屋であったが、通人でもある金兵衛は、油屋から三両で茶碗を買い取り、いつか親元へ帰って孝行できるよう、地道に励むように諭す。
後日、茶碗を実見した関白・鷹司公によって「清水の 音羽の滝の 音してや 茶碗もひびに もりの下露」という歌が詠まれる。この話が公家たちの間で評判となり、さらには時の帝も興味を持ち、この茶碗から滴った水は御裾を濡らした。茶碗には帝の筆による「はてな」の箱書きが加わり、金満家にして好事家の鴻池善右衛門が千両の保証金と引き換えに預かるという体裁で、金兵衛から茶碗を買い取る。思いがけない展開であったが、やはり通人である金兵衛はこれを自分だけのものとせず、油屋を探し出すと半分の五百両を渡し、残りを慈善の施しに使い、余った分で家中の者たちのための宴を開きたいと告げる。油屋は深く感謝し、金兵衛のもとを辞する。
すると後日、再び油屋が金兵衛の元に現れ、「十万八千両の金儲け」だという。理由がわからない金兵衛が問いただすと油屋はこう答えた。
「今度は水甕の漏るやつを見付けて来ました」
貧乏な油屋が一攫千金を狙うお話。
目まぐるしく浮き沈みするストーリー展開が非常に味わい深いお話です。
両作の共通点とは?
さて、ここから「素晴らしき哉、人生!」と「はてなの茶碗」の共通点を解説していきます。
お金にまつわる話
まずは、両方ともお金にまつわる話であるという点。
「はてなの茶碗」は言わずもがな大金を掴むべく奔走するのが面白いお話です。
「素晴らしき哉、人生!」もまた、住宅金融を生業とするジョージが資産家のポッターや、町の人々とお金で繋がったりぶつかったりするお話なのです。
価値観を見つめなおす
「はてなの茶碗」は、傷物の茶碗が、ふとしたことからどんどん価値を高めていくというお話です。
物の価値というのは、人や時代や趣向によって大きく変わるという教訓のようなものがありますね。
「素晴らしき哉、人生!」もまた、人それぞれの価値観に触れる機会の多い作品です。
地元を出て広い世界を観たいという価値観。
人情よりも、金儲けのほうが大事だという価値観。
貧乏でも、持ち家が良いという価値観。
人と人との繋がりこそが大切であるという価値観。
などなど、こんなにも様々なものの価値観を考えさせられる作品は稀有です。
親切であるということ
私はこの「親切であるということ」がいかに魅力的であるかに気づけるという点が両作の最大の共通点であるように思いました。
「はてなの茶碗」に登場する茶金さんは、大人物であるにも関わらず、油屋に対してとても誠実な振る舞いをします。
「自分の名前に二両を払ってくれたようなものだ、ありがとう」というセリフは、何ともグッときます。
その懐の深さ故、関白や公家、さらには帝にまでも、繋がることができたのでしょう。
「素晴らしき哉、人生!」のジョージもまた、人の為に働く事のできる人物です。
自身が貧しくなろうとも、町の人々の幸せを考えながら、仕事をしています。
そんなジョージだったからこそ、あの感動的なラストをむかえることができた訳です。
「はてなの茶碗」も「素晴らしき哉、人生!」も、人に対して誠実であること、親切であることがいかに大切であるかをとっくりと味わうことができる作品ですね。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます!
今回は、少し変わった視点で、お届けしました。
「はてなの茶碗」と「素晴らしき哉、人生!」が似ているだなんて、少し不思議だよね。
日本もアメリカも、心の根っこの方の美徳は変わらないといったところでしょうか。
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