重くとらえ過ぎず、爽やかな清涼感で障害と向き合おう
映画『システム・クラッシャー』をテアトルで鑑賞しました。
ベニーという、激しい衝動性や幼少期のトラウマをもつ少女と周りの大人たちを描いた作品。
2019年のドイツ映画で、
ベルリン国際映画祭2019銀熊賞をはじめとして、37部門の賞を受賞しています。
時に心締め付けられるシーンがありながら、従来の障害を扱った作品とは一線を画すほどストレートで、ある意味清涼感すら残る作品なんです!
ふつう、重たい感じになるのにねぇ。どうしてなの?
おそらく、ユーモラスな演出と、音楽にあるんじゃないかな。
今回の記事では、『システム・クラッシャー』の魅力を語りつつ、本作が放つ爽やかさの秘訣を解説します!
作品概要
施設から施設へ、里親から里親へ、「システム・クラッシャー」とは、あまりに乱暴で行く先々で問題を起こし、居場所を転々とする、制御不能で攻撃的な子どものことを指して言います。
嵐のような9歳の女の子ベニー。幼少期、父親から受けた暴力的トラウマ(赤ん坊の時に、おむつを顔に押し付けられた)を十字架のように背負い手の付けようのない暴れん坊になる。里親、グループホーム、特別支援学校、どこに行こうと追い出されてしまう、ベニーの願いはただひとつ。かけがえのない愛、安心できる場所、そう!ただママのもとに帰りたいと願うだけ。居場所がなくなり、解決策もなくなったところに、非暴力トレーナーのミヒャはある提案をする。ベニーを森の中深くの山小屋に連れて行き、3週間の隔離療法を受けさせること…。
https://crasher.crepuscule-films.com/
このミヒャというトレーナーや、社会福祉士のバファネというキャラクターは、とてもいいんですよ。優しくって。
ミヒャのセリフで、
「やる気がなくてもできる」
というものがあるんですが、これは何だかハッとさせらるものがありましたね。
あと、ベニーが見せる子どもらしさとか、彼女のよさ。
子どもやお世話が好きだったり、動物好きだったり。
こういう部分にも心惹かれるものはありました。
しかし、本作の凄さは、強烈なストレートパンチのように、忖度なくベニーの行動やそれによる結果見せつけるところだと思うんです。
強烈にストレートな内容
本作は、ベニーという精神的トラウマや、衝動性、愛着障害、過度なこだわり行動等をもつ女の子が主人公です。
ADHDやASD、LD、PTSDなど、障害の描写もある本作。
母親を含め、ベニーを取り巻く大人たちの葛藤や悩みも描きつつ、ベニー自身の苦しみも描く。
また、障害者施設や、それに伴うサービスや福祉事業、精神病床なども登場します。
しかし、本作のすごいのは、それらを決して重苦しく、説教臭く見せないところです。
普通こういった子どもがテーマの作品だと、
「なんて可哀想なんだろう」
「なんとかしなきゃな」
「自分にできることはあるかしら」
なんておもってしまいがち。
でもこの作品ではそういう感情が湧きにくい。
こんなすごい子がいて、大変なことがたくさんあるんだぜ。
でも生きてるんだからいいじゃん!
そういったある意味爽やかな鑑賞後感すら湧いてくる作品なんです。
爽やかに観られる理由
『システムクラッシャー』が、どうしてここまで爽やかな感覚で観られるのか、自分なりに分析してみました。
それは、ユーモラスな演出と、音楽にあると思うのです。
本作では、結構大変なこととか、ベニーにとって悲しい出来事も起こります。
例えば、ようやく見つかった受け入れ先にいる同居先に住んでいる男の子がいるんですが、ベニーはある理由からこの子の頭を床に何度もぶつけてかち割っちゃうんです。
「おいおいヤバいだろ…」
と思うんですが、次のカットでは病室のベッドで頭の検査を受けるベニーのシーンにパッと切り替わるんです。
引き離すシーンとか、叱られたり宥められたりするシーンは一切見せずに。
これはもう思わず笑ってしまいました。
こういう緩急でもって、深刻な事態をどこかコミカルに見せてくれるんですよね。
だからこちらとしては、
「もう、しょうがないねぇ」
「またやっちゃったか〜」
って感じ。
そして、極めつけは、ラストです。
ラストの展開はその究極系ともいえるものです。
この映画が、はたしてハッピーエンドで終わるのか、バッドエンドで終わるのか、ハラハラしながら見ていましたが、私はあれこそ最高の終わり方だと思います。
というかもう、アレしかないのかも。
挿入される音楽も素晴らしい。
ミヒャとの車内で流れる音楽をはじめとして、ベニーが衝動的な時は激しめの曲を流すんですよね。
で、パッと静寂に切り替える。
この緩急は本当にお見事。
そして、エンドロールでは、ニーナ・シモンの
『Ain’t Got No, I Got Life』が流れます。
家もない、靴もない
お金もない、階級もない
スカートもない、セーターもない
香水もない、ツキもない
運命もない
教養もない、母もいない
父もいない、兄弟もいない
子供もいない、叔母もいない
叔父もいない、根もない
伴侶もいない
国もない、学校もない
友達もいない、何もない
水もない、空気もない
煙草もない、お菓子もない
何もない
水もない、愛もない
運命もない、ツキもない
ワインもない、お金もない
運命もない、神様もいない
愛もない
それでも、私は何かを持ってる
私はどうやって生きているというの
私は持ってる
誰にも奪い取れないものを
私には髪がある、頭がある
私には脳がある、耳がある
私には眼がある、鼻がある
私には口がある、微笑みがある
私は話せる
私には髪がある、頭がある
私には指がある、ひざがある
私には足がある、かかとがある
私には肝臓がある、血液がある
私には「いのち」がある
私には笑い声がある
私には治癒がある
私には行動がある
私にもあなたみたいに悪い時もある
そういった歌詞が、エンドロールで流れるんですよ。和訳付きで。
ああ、そうだよな。
解決の糸口を探すのも大事だけど、めちゃくちゃ大変なこともあるけど、とにかく元気に生きてんだよ。
そんな風に、どこか投げやりではありますが、思いの外明るくなれる映画でした。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます!
映画『システム・クラッシャー』について解説しました。
「笑っていいのかしら」と思ってしまうかもしれませんが、いいはずです。でなけりゃ、あんな演出はしません笑
最後の曲にも注目だよ!
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