ただで起きないために、思いっきり転ぶ
映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』をシネリーブルで鑑賞しました。
時は1980年代。ビデオの普及によって映画館離れが進むなか、若松孝二監督が名古屋に作ったミニシアター「シネマスコーレ」を舞台に描いた作品です。
映画讃歌、人生讃歌的な、熱い映画です。
あらすじはこんな感じだよ。
映画を武器に激動の時代を走り抜ける若者たちを描いた『止められるか、俺たちを』から 10 年後。 1980 年代。時代も人も変わった。シラケ世代と言われ、熱くなることがカッコ悪いと思われていた時代。ビデオが普及し始め、映画館から人々の足が遠のき始めた時代。それに逆行するように、若松孝二は名古屋にミニシアターを作る。その名はシネマスコーレ。ラテン語で「映画の学校」。支配人に抜擢されたのは、結婚を機に東京の文芸坐を辞め、「これからはビデオの時代」と地元名古屋でビデオカメラのセールスマンをやっていた木全純治だった。木全は若松に振り回されながらも、持ち前の明るさで経済的危機を乗り越えていく。 そこに吸い寄せられる若者たち。まだ女性監督のほとんどいなかった時代。金本法子は「自分には撮りたいものなんか何もない」と言いながら、映画から離れられない。田舎の映画青年だった井上淳一もまた映画監督になりたい一心で若松プロの門を叩く。己れの才能のなさを嫌でも自覚させられる日々。それでも、映画を諦め切れない。救いは、木全が度々口にする「これから、これから」という言葉。 今がダメでも次がある。涙だけじゃない。そこには笑いがある。絶望だけじゃない。希望がある。この映画は僕の、私の物語であると同時に、あなたの物語でもある。これはあなたの青春の物語だ。
監督脚本は福田村事件の井上淳一。若松孝二を演じるのは、前作に引き続き井浦 新。若松の役年齢と井浦の実年齢が重なり、ヤンチャさに温かな包容力が加わり、さらにパワーアップ。木全純治は、このところ新境地を開拓し続ける東出昌大。掴みどころのない茫洋とした人物を見事に演じている。金本法子には芋生 悠、井上淳一には杉田雷麟。ともに自意識と自信のなさで揺れ動く青春期の感情を繊細に演じ、魅力全開。他にも、コムアイ、有森也実、田中要次、田口トモロヲ、門脇 麦、田中麗奈、竹中直人など豪華キャストが集結。あの時代の空気を見事に体現している。
http://www.wakamatsukoji.org/seishunjack/introduction.html
ものすごく面白かったのですが、
私は、若松孝二監督の作品やピンク映画を観たことがなかったので、分からないこともありました。
映画館で他の人が笑っている場面がちょっと悔しかったです笑
今回の記事では、そんな私が疑問に感じたことを中心に、映画について解説していきます。
若松孝二ってどんな人?
まず、井浦新さん演じる若松孝二さんについて。
見た目はこんな感じです。
今回の井浦さんに似てますね。
父とのそりが合わず、農業高校を中退した後、上京します。
職人見習いや新聞配達、ヤクザの下働きなどを経験。1957年、チンピラ同士のいざこざから逮捕され、半年間、拘置所に拘禁され執行猶予付の判決を受ける。 (その時の経験により後に監督デビュー作の『甘い罠』は“警官を殺すために映画監督になった”と豪語した通りに警官殺しの映画になっている。) その後、職を転々としテレビ映画の助監督になる。ある現場でシナリオの改変に腹を立ててプロデューサーを殴り、その場でクビになる。その後ピンク映画の企画が巡って来た事が転機となり、1963年にピンク映画『甘い罠』で映画監督としてデビュー。本作の制作にあたり、若松は自ら制作費の150万円を出して撮影した。低予算ながらも圧倒的な迫力ある映像でピンク映画としては異例の集客力をみせた。若松は「ピンク映画の黒澤明」などと形容されヒット作を量産する。若松孝二の映画作りの原点は“怒り”であり反体制の視点から描く手法は当時の若者たちから圧倒的に支持される。1965年『壁の中の秘事』が日本映画製作者連盟推薦の大映作品などを差し置いてベルリン国際映画祭正式上映作品となり、評論家による「国辱」発言などもあってセンセーショナルな騒動となったことから、若松の名前はピンク映画業界を超えて一般に広く知れ渡った。また、それ以降亡くなるまでスキャンダラスな作品をエネルギッシュに次々と発表することとなる。1965年「若松プロダクション」を創設、足立正生や大和屋竺などの人材が集まる。連合赤軍をテーマにした作品『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2007年)は、2007年8月の湯布院映画祭にて「特別試写作品」として上映。2007年10月には、第20回東京国際映画祭にて「日本映画・ある視点 作品賞」を受賞した。同年12月に、若松が設立した映画館シネマスコーレで公開され、2008年3月から全国で公開された。2008年2月に開催の第58回ベルリン国際映画祭において最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)と国際芸術映画評論連盟賞(CICAE賞)を受賞。第63回毎日映画コンクールで監督賞、第18回日本映画批評家大賞で作品賞を受賞した。ロングラン上映後、DVDが発売された。2007年度宮城県芸術選奨(メディア芸術部門)を受賞。
Wikipediaより引用
逸話はまだまだあるのですが、ザッとまとめるとこんな感じです。
具体的にどのような人柄だったのかは、映画をご覧になれば分かるかと思います。
若松プロでは、多くの映画人を世に輩出しており、本作の監督である井上淳一さんや、前作の白石和彌さんもその一人です。
映画の中に何度も登場する足立正生さんも若松プロのメンバーの一人です。
足立正生ってどんな人?
『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』で何度もお名前が登場する足立正生さん、通称あっちゃん。
若松さんの盟友とも呼ばれる人物です。
「あの指名手配犯の?!」と呼ばれていたり、
姿が一度も出てこなかったりで謎の多い人物でした。
日本大学中退後に若松孝二が設立した独立プロの若松プロダクションで活動。1969年、若松プロダクション製作の『女学生ゲリラ』を監督した。また、若松プロダクションではピンク映画の脚本を数多く手がけた。 1971年のカンヌ国際映画祭からの帰国途中、若松孝二とともにパレスチナへ渡った。パレスチナ解放人民戦線のゲリラ隊に加わり共闘しつつ、ゲリラ隊を題材とする『赤軍ーPFLP 世界戦争宣言』を撮影・監督した。 1974年には重信房子が率いる日本赤軍に合流し、国際手配された。日本赤軍ではスポークスマンの役割を担っていたという。1997年にはレバノンで逮捕され、ルミエ刑務所で3年間の禁錮刑を受けた。2000年3月に刑期が満了し日本へ強制送還された。2007年、日本赤軍の岡本公三をモデルとする『幽閉者 テロリスト』(田口トモロヲ主演)を監督した。
Wikipediaより引用
なるほど、この国際指名手配中が1980年代だったわけですね。
足立正生さんはまだ現役。2022年9月に発生した安倍晋三銃撃事件の実行犯の半生を描いた映画『REVOLUTION+1』を監督しています。(脚本は井上淳一さん)
井上淳一さんの実体験
本作は、井上淳一さんの実体験を基に作成されているそうです。
新幹線に乗ったエピソードも、予備校の講師がビールを飲んでいたことも、河合塾のプロモーション映画を撮ったことも実話です。
『燃えろ青春の一年』という30分の短篇映画を撮りました。
しかし助監督を一本しかやってないので、何も出来ず、結局実質的には若松さんがほとんど撮ることになったというのも同じだそうです。
そうやって観ると、井上さんの若松さんへの愛や感謝に溢れた映画に感じるので、終盤は泣けてきます。
ピンク映画って?
本作では、「ピンク」と呼ばれる映画をシネマスコーレでかけるかかけないかが論争されていました。
そもそも、ピンク映画って何か。日活ロマンポルノとの違いは何か。
イメージ的にはどちらもエッチな映画ですよね。
でもそれだけじゃなくって、かなり本格的に作られた面白い作品もあるんです。
日活ロマンポルノは、日活で制作配給された作品でそれ以外で作られたものをピンクと呼ぶそうです。
日活ロマンポルノの方が、お金がかかってるんですね。
ピンク映画は、低予算で作ることができます。
だから、金のない映画監督や駆け出しの監督がピンクを撮っていたと。
中には、タイトルだけそれっぽいものをつけて、中身は全然エロくない。そんな作品もあったそうです。
今日の映学
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